歴史の 浪漫街道  日本各地の神輿。台座5尺の大神輿を担ぎ渡御は関東では一番と言われる有馬神明神社
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ!日本各地の神輿


    有馬神明神社 平成22年10月 (毎年)

多くの担ぎ手連れて渡御の有馬神明。'10.10.03.
三又が電線押し上げる中を淡い朝日を背に浴び多くの担ぎ手を引き連れて渡御 殿に小さく子供神輿

渡御役員の印半纏。'10.10.03. 急な参道石段。'10.10.03. 社殿と大神輿。'10.10.03.
渡御役員の精悍な半纏印 急な50数段の参道石段 社殿と悠然と鎮座する大神輿

有馬神明神社。 例大祭 '10.10.03.(日曜) 宮出し8時〜18時。
毎年の例大祭では、神社の大神輿が有馬から鷺沼にかけての町内を練り歩く。
鷺沼駅前は10時です。
川崎市宮前区有馬5丁目13-24。

創立年は不明ですが、鷺沼では、周辺が有馬村と言われていた頃からの氏神様として有馬神明神社が有り、 文化文政(1820年代)頃の記録には出てくるそうです。 現在の社殿は平成14年に、老朽化した旧社殿を取り壊して建てられた。
 

簡素な出御式。'10.10.03. 神職によるお祓い。'10.10.03. 瓔珞と風鐸の取り外し。'10.10.03.
質素素朴な出御式 御本社神輿へのお祓い 渡御のため瓔珞と風鐸の取り外し

平成19年(2007)建造で、5尺(153cm)ある台座で担がれている神輿はないはずだ、と氏子役員は胸を張る。 7年間かけて作られた神輿は、全長8m、本体高さ3.5m、重さ約2tの大神輿で、 御祭神は天照皇大神 (大日霊貴命配祀神)  

大神輿境内奥へと進む。'10.10.03. 後方担ぎ手が神輿をじわり振る。'10.10.03. 宮出しの通りへと向う。'10.10.03.
方向転換のために境内奥へ前進 後方担ぎ手がじわりと旋回 やっと宮出しの梨園通りへと向う

簡素な出御式終えると、直に渡御ですが、じわりジワリと境内で方向転換です。 宮出しでの神輿揉みなどは、とてもできぬ大神輿です。  

梨園通りへ大神輿が顔を出す。'10.10.03. じわじわと方向転換。'10.10.03. やっと渡御体勢整える。'10.10.03.
渡御のため境内から出る じわりジワリと直角に方向転換 やっと渡御の道路上を進みだす

有馬の梨園通りへと大神輿が悠然と出てくる。 観る者にはもどかしく感じるが、担ぎ手は必死だが大神輿の重さで簡単には方向転換ができない。  

   神輿担ぎレポート: matsuriさん。
○ 神輿の裏側(そこ)から見ると、組み込みでチャント耐震構造が施されてます。
○ H19〜20年は担ぎ手揃わず大半を台車移動。 その時間割が「8時宮出、18時宮入」
○ 昨年H21年はそこそこ担ぎ手が集まった事で台車なしで渡御実行。 結果宮入20時過ぎとも21時過ぎとも言われる。 最終の神社裏側からの「上り坂」今年は台車で押し上げです。
○ 今年は、昨年の反省で昼食後の神社下の直線道路に出るまで、 岡の上から降りるまでの14:30〜16:30頃まで、 台車渡御で前半の遅れを取り戻し、約30分遅れとして宮入を何とか19時前にできた訳です。 掛け持ち部隊は昼食後、他へ移動で人数も減ってました。 逆に、16時過ぎには他へ行ってた新手が集まってきてという事です。
○ 何故、昨年から担ぎ手が集まったか? 大田区の「三輪仲よし睦」が有馬の氏子から、頼まれて「声掛け運動」を開始。 総勢約400人超の内、仲よし睦系で120人越が参集です。

○ しかし、私もアレだけ重いのは初めてで3分入ったら限界ですね。 何度か後ろの端で上げましたが1分持たないです。 宮入もシッカリ頑張り、上げました。  達成感あり!!

直進させるも重さにじわりとブレル。'10.10.03. 重さに堪える必死の担ぎ手。'10.10.03.
多くの応援担ぎ手引き連れ左右にぶれながら渡御 大神輿の重さに耐える必死の担ぎ手たち

宮前区有馬:古くは、「有間」とも「在間」ともかかれていた。 江戸期には存在していたと思われるが、詳細、由来については不明です。
なお宮前区の名前は、宮前区の地域を構成した村のひとつ、宮前村に由来する。 宮前村は「みやさきむら」と読むが、 昭和57年(1982)に高津区より分区して宮前区が成立した際に漢字のみを継承し、 読みは平易なものに改められた。
 


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