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町家建築の歴史的遺産 |
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蔵店舗・老舗店舗/城西。多摩・八王子エリア |
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八王子市八幡町の観音開きと家紋入り鬼瓦と瓦葺が重厚な雑貨店の「加島屋」
明治20年(1888)に建築の石蔵店舗です。
甲州街道の元八日市宿でいまも現役店舗なのです。東京都八王子市八幡町11。 |
加島屋の石蔵店舗の建築年度が不確実のため確認依頼した八王子市から連絡頂いた情報です。
感謝いたします。
それにしても約120年前の建築承諾確認の資料が現在も保存されているとは、感動です。
関東大震災時に大被害を受けた瓦葺を翌年改修工事 されている
・・・この情報も同時に頂いたものです。加島屋の創業は明治20年以前。
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甲州街道を挟んで時代を漂わす商店街の高尾よりの八王子市八木町にある
こんにゃく・寒天製造販売の老舗店舗である「中野屋」。
歴史を感じさせる鬼瓦や雨樋にも屋号が入っている。
中野屋の創業は明治14年(1882)である。 |
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再利用された赤レンガ瓦葺店舗の喫茶ブリックス。
当時流行の赤レンガ造り蔵であるが屋根は瓦葺で
大正7年(1918)お米の貯蔵庫として建設された。
平成2年(1990)赤レンガや鉄板扉の建物の特徴を
そのまま生かして喫茶店として再利用されている。
片倉城址公園入口横に往時を偲ばせる様に建っている。
国道16号線沿い東京都八王子市片倉2434。 |
府中の旧甲州街道府中宿の地酒の土蔵店舗の「中久本店」(酒の蔵元名は野口酒造店)。
一階は野口酒造醸造の地酒販売所であり二階は観音開きから入込む光が幻想的な蔵の
特徴をそのまま生かしたズバリ店舗名も喫茶「蔵」です。街道を挟んだ向かいは府中高札場である。
東京都府中市宮西町4−2。 |
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武蔵府中の中心であった府中宿は安政6年(1859)に大火が発生。それを機に創業万延2年(1860)
の中久本店は店蔵を防火建築の土蔵として再建された。
昭和30年代に補修工事が施されている。 |
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旧青梅街道の青梅宿のレトロを醸しだす蔵店舗たち。
左から呉服店の「白木屋」。元家具屋であった喫茶室を併設した「昭和レトロ館」
(約100年前の旧新藤外科医建物の説あり)。
そして右端がレトロ企画運動に賛同する漫画家赤塚不二夫の「不二夫館」です。
東京都青梅市住江町65〜66。 |
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青梅街道を挟んで都指定有形民俗文化財の旧稲葉邸が見える
板蔵店舗の「柳屋」。青梅宿で今もお茶の量り売りを行なっており
店舗と隣接している雑蔵の維持管理が素晴らしい老舗店舗です。
現在では殆ど見かけなくなった伝馬屋敷の風格を感じる。
米屋、茶屋の柳屋は、創業は元禄13年(1700)。
この蔵店舗の建築はなんと明治9年(1876)です。
東京都青梅市森下町526。撮影・04.12.03. |
伝馬屋敷。宿場は運輸・通信・宿泊の役割があり特に幕府、大名、町飛脚の取次所を 伝馬(てんま)屋敷という。
街道に面して間口広く、奥行が深い。戸口は一段下げて客を迎える造りである。桟瓦葺の2階建てである。 |
青梅宿の旧稲葉家土蔵店舗。東京都指定有形民俗文化財。
江戸後期の土蔵二階造り商家でこの稲葉家は木材商や
青梅縞の元仲買問屋であり、敷地内に明治初期の母屋、蔵等もあり
青梅宿の往時の賑わいを今に伝えています。と記載されているが
東京都・青梅市の再建工事予算が取れず母屋や蔵は放置されたまま。
遺産も崩れてしまうと二度と蘇らない。東京都青梅市青梅499. |
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甲州街道の高尾山口の高尾まんじゅうの
「有喜堂本店」白壁もクッキリそして銅版の看板と隣接の
お休み処が旅情を醸しだす。
この店舗は昭和2年(1927)建築である。
創業は明治30年代です。
東京都八王子市高尾町2302。撮影・05.03.25. |
東京都あきる野市五日市、桧原街道沿いの土蔵店舗の「骨董店」。
「五のつく日の市」が地名の由来。江戸に炭などを供給する交易の中心地として栄えたが、
高度経済成長とともに残念ながら「市」は 廃止になり、
古の栄華も消え商店街は衰退の一途である。 |
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元港区白金台5丁目にあった出桁造りの「小寺醤油店」。
隣接しているのは商品の醤油や酒の貯蔵専用の土蔵なのです。
建造は昭和8年(1933)。江戸東京たてもの館。 |
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元江戸川区南小岩8丁目の和傘問屋の「川野商店」。建造は大正15年(1926)。
江戸東京たてもの館。東京都小金井市桜町3-7。 |
石蔵を再利用した店舗。レストラン大澤。この石蔵は長梯子を抱えて店舗入口のアートとして有効活用されている。
奥の離れにある日本家屋の母屋が室内だけをリホームして板張りに椅子テーブル席のレストランです。
小金井市貫井南町1丁目25-4. |
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この地区は旧貫井村池の上草分と呼称されていた。
当然のことながらこのような石蔵や土蔵が今だ多く点在している。
民の貴重な歴史的遺産であり有効利用を図り後世に是非とも残したいものです。 |
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甲州街道の日野本宿近くの石蔵店舗ですがよく観察すれば残念なことに朽ち果てたままである。
貴重な民の文化財であるが行政の支援無ければ、
個々の自助努力での維持保存が如何に難しいかの実例。日野市日野本町1−15。 |
民の伝承は有れども、確かな証明記録も無く保存状況も良くなければ指定文化財とされぬ厳しさがある。
しかし・・・と疑問感じる。 民の貴重な遺産を後世に伝えるために、町の活性化のために。 |
東京都あきる野市牛沼63。明治17年建築の甍や観音開き
そして全体が均整の取れた美形である2階建て土蔵店舗の
東京の蔵元「中村酒造場」。 |
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あきる野市戸倉63。蔵元の「野崎酒造」
明治の雰囲気を醸し出す正門と隣接の石蔵店舗は昨年まで
地酒販売所として使われていた。 |
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中村酒造場の創業は文化元年(1804)。野崎酒造の創業は明治17年(1885)。
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米穀店堀口商店の石蔵。
湿気を嫌う米蔵として建造されたのか土台を高くした2階建ての大型の石蔵です。
現在も使用しているためか石蔵の保存状態が非常によい。青梅市東青梅2−12−3。 |
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奥多摩町南氷川の白土蔵が見事な商家 |
二階建て母屋を挟み左右に白土蔵が建つ |
青梅市の駅前の元旅籠を想わせる商家 |
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