歴史の
浪漫街道
往時の街道のままの旧中仙道板橋と北千住や旧東海道の芝品川エリアの甍の老舗店舗。
町家建築の歴史的遺産
蔵店舗・老舗店舗/城東。板橋・北千住エリア
西新井大師門前割烹の中田屋。創業は江戸中期。門前町の中田屋は 草だんごで有名な老舗店舗。中央の写真を拡大してでご覧下さい。 江戸名所絵図で西新井大師門前に中田屋は既に画かれていますが、往時の環境がどうで あったか、現地に立つとよく理解できます。
西新井大師。 足立区西新井1-5。天長3年(826)に創建された名刹で別名牡丹寺です。
旧中仙道の板橋宿。板橋区板橋仲宿40。土蔵店舗の「米や」。 両壁は赤レンガで頑丈に防御された構造になっている。 創業は不明です。
中仙道板橋宿沿いの平尾には延宝7年(1679)前田綱紀が 幕府から6万坪の土地を与えられ最終的に 総面積21万8千坪の広大な加賀藩下屋敷となった。 現在この下屋敷跡に、小学校1校、中学校2校、高校1校があり いかに広大であったかご理解いただけるでしょう。
日光街道北千住宿の江戸後期建造の 伝馬屋敷造り紙問屋の商家である屋号「松屋」の横山家。 広い土間、商家の書院造りと言われる帳場、大きな格子窓に独特の風格を感じる 桟瓦葺き2階建です。昭和11年に改修工事が施されている。足立区千住4丁目。
江戸中期から7代続く絵馬や凧などを描いてきた際物問屋の「吉田家」。 現在も手書き絵馬屋の老舗店舗で唯一の千住絵馬である。東京都足立区千住4丁目。
板橋宿。 平尾宿(板橋1丁目)その先の石神井川に架かる板橋までの仲宿、 さらに環状七号線を過ぎた本町を上宿を総称して板橋宿といった。飯盛女の盛んな土地柄でもあった。
千住宿。 日光東照宮が建立されると日光道中一番目の宿場と定められ、東海道の「品川宿」、中仙道の 「板橋宿」、甲州街道の「内藤新宿」と並び江戸四宿のひとつ言われ日光道中最大の宿場町であった。
蔵店舗・老舗店舗/城南。芝・品川エリア
慶応大学正門前にあるドッシリと構えた酒処「津國屋」昼は定食屋となる。 右のビルはこの店舗の酒類卸業部門。 残念なことに瓦屋根上の看板は外したままであるが2階の窓の雨戸袋と縁側や入口に掲げた看板の右書きで 「番二七〇二芝・話電」がこの店舗の歴史を感じさせる。 創業は不明。東京都港区三田2丁目16。
幕末に立てられた土蔵店舗の「滝沢商店」。 旧東海道の東京都品川区南品川3丁目6。 側壁の白壁が素晴らしい。残念ながら現在休業中だが維持管理は完璧である。
この様な休眠中の古い店舗のよき活用法は無いものだろうか。 地区行政や非営利法人のNPO法人で「無料休息所」「観光案内所」など 町の活性化そして高齢化社会のシニアボランティアの活動の場として。
旧東海道の品川宿。大正時代に創業の老舗店舗「松岡畳店」品川区南品川2丁目8。 看板が右書きで往時を醸し出している。 店頭のスーパーカブと繋がれたリヤカーは他では見れない。
大きくはないが商家造りの「下駄の丸屋」。東京都品川区北品川2丁目8。 こじんまりと古の旧街道に今も生き続けている。 創業は慶応元年(1865)の老舗店舗。
品川宿は最も重要視された東海道の一番目の宿場。北の吉原に対し南の品川と言われ遊興の地でもあった。 明和元年(1764)には道中奉行によって飯盛女(旅籠屋で遊興相手をする女性)が500人許可されている。 今でも旧東海道は江戸時代と同じ道幅で往時を偲ばせる。
なかなか味がある「田中屋米店」大森の東邦医大通りに面して、 ひと際目に付く甍を高く敷き詰め2階の格子戸や銅板戸袋、そして朱塗りの梁と白壁が時代を物語っている。
大田区大森西2丁目19-24。
富岡テトラ さんの情報 日付け '10.08.24.:平成22年10月ごろに取り壊されるそうです。四車線にする道路拡張のためだとか。 大正か昭和に建照られて、戦争にも焼けず残った建物がまた一つ消える。 無名の商人たちの歴史的遺産が消える。残念ですね。
仲六郷通りの竹内米穀鰍フ米蔵です。
精米と販売をこの米蔵で昭和25年(1950)から営んでおり、そのために出入り口が異様に大きい造りです。 稲穂の藁が掛けられ看板無くともそれとなく米屋と自己主張している。 大田区仲六郷2-40。
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