歴史の 浪漫街道 江戸時代は湯女風呂、今は甍の銭湯。これこそ身近な民の娯楽の場そして癒しの場です。
町家建築の歴史的遺産



昭和浪漫・甍の銭湯/唐破風 其の壱


    子宝湯

見事、破風造りの銭湯。子宝湯。05.01.18. 江戸銭湯の定番、見事な唐破風造り銭湯。05.01.18.   見事な東京銭湯の代表格である唐破風造りの銭湯。これぞ昭和浪漫・甍の銭湯である神社仏閣を 思わせる均整とれた大型の唐破風造り。元東京都足立区千住 本町 (表示は下段の脚注)の「子宝湯」。
建築は昭和4年(1929)の切妻屋根の銭湯。江戸東京たてもの園にて撮影・05.01.18.

奥戸天祖神社睦会の小頭副長の木村です。 貴サイトの夢の銭湯も拝見いたしまして、ひとつご報告いたします。江戸東京たてもの園の子宝湯なんですが、 住所表記が千住本町となって居りますが正しくは元町となります。 あたしの実家が子宝湯の近くで、ガキの時分はよく通っておりました。場所を移してからあたしも一度家族を連れて観に行きましたが、 説明員の話では当時のまんま移築しましたと言っていましたが、湯船上のトタンの看板・脱衣所の看板等の住居表記が(千住下町○○ー○) となっていたのが少し寂しい気がしました(意図的?)長くなりましたが、気になったので老婆心ながら書かせていただきました。 (掲示板に投稿の原文・'09.10.01.) 投稿に感謝します。  

    花の湯
湯女風呂を思わせる重厚で風格ある銭湯です。 神社仏閣風の青銅色の甍、そして唐破風造り。 宿場の面影を醸しだす旧中仙道沿いの板橋仲宿の「花の湯」。
東京都板橋区板橋3-15。撮影・04.12.10.
  板橋仲宿の花の湯。04.12.01. 唐破風造りの銭湯、花の湯。04.12.10.

明治の銭湯風景。05.09.29. 明治の銭湯風景。05.09.29.   湯女風呂。  江戸時代の銭湯は早朝からわかし庶民の憩いの場として夕刻の七つ時(午後4時)で終了していた。 やがて湯女(ゆな)が昼は客の背を流し七つ時を境に客に湯茶を出し客をもてなす湯女を置く湯屋(ゆや)ができ 幕府は風紀上から再三禁止令をだすも、商家の旦那衆や若者の大人気となり一時は吉原遊郭と競うほどでした。

豊原国周(幕末・明治の浮世絵師)作の幕末の銭湯を描いた肌競花の勝婦湯(はだくらべはなのしょうぶゆ)
左側が番台と脱衣場、中央が洗い場で糠袋を口にくわえている、右が客の背中を洗う三助二人、 その後ろが湯船入口。 糠袋で体を洗って皆がよく喋る女湯の賑やかな様子。壁には薬などの広告も見られる。
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豊原国周作の肌競花の勝婦湯(はだくらべはなのしょうぶゆ)

    三吉湯
住宅街の中の入組んだ本当に細い路地中にある「三吉湯」 毎週土曜日には男湯と女湯が入れ替わるユニークな制度を取り入れているとか。 板橋区蓮沼町44−8。   路地中の三吉湯。05.09.08. 三吉湯。05.09.08.


    曙湯

見事な藤棚と唐破風の曙湯。06.07.27. 重厚な甍の唐破風と透かし彫りのつがい鶴。06.07.27. 台東区まちかど賞受賞の白壁に囲まれた曙湯。06.07.27.
甍と白壁のまちかど賞の曙湯 何故か鳩が白壁瓦の上に 藤は浅草瓢箪池からの株分け

はとが置かれた唐破風と白壁。06.07.27.   「曙湯」見事な唐破風そして天窓の目隠しにもなる藤棚。 なぜか唐破風の右下とその下に鳩が置かれている。 藤は昭和34年(1959)に浅草六区の瓢箪池が埋めたてられて五重の塔再建時に株分けされ 毎春甘い香りを漂わせて満開する藤棚です。 壁には防御用立ち入り禁止の鉄柵ネットが石垣沿いに張られている。 平成2年に台東区の景観形成の寄与で「まちかど賞」を受賞。台東区浅草4-17-1.

お江戸の銭湯に合わせたかのような台東区の保護樹木の藤の花。07.04.27. 曙湯の藤の花が満開です。07.04.27.
台東区みどりの条例の保護樹木の藤の花 藤棚が天窓を隠す満開の藤の花まさに極楽の春


    寿湯
「寿湯」 残念ながら瓦葺でない銭湯で2005年4月に全面改装した銭湯のスレート瓦葺です。 是非とも甍の瓦葺銭湯として時間掛けても復活願いたいものです。 でも不思議と浪漫を感じさせる銭湯です。台東区東上野5-4-17. スレート瓦葺きの寿湯。06.07.27. 茶色に塗られたスレート瓦葺の寿湯。06.07.27.


    日の出湯

日の出湯の湾曲の切妻屋根。06.07.27. 上段は鶴、下段は鳳凰の瑞鳥をあしらった日の出湯。06.07.27.   「日の出湯」 雲に乗った瑞鳥の下段の鳳凰と上段の鶴、この図柄が素晴らしい。 切妻屋根の弓形の湾曲が素晴らしく井桁格子の壁も時代を醸しだす。台東区三ノ輪1−15−12。


    鶴の湯
「鶴の湯」 不思議にも違和感がないのです。 都会では滅多にはないこの珍しき銭湯の壁の色合いをご覧下さい。 まるで極楽世界へ誘うような色彩です。 銭湯・温泉で湯船に浸かりああ極楽だ〜極楽だなのです。
東京都台東区浅草橋5−27−2。
  鶴の湯の塗り壁も見事です。06.07.27. この色彩は極楽浄土なのでしょう。06.07.27.


    草津湯

荒川小菅土手下にひっそりと佇む草津湯。07.04.27. 銭湯の北側は東京小菅刑務所。07.04.27.   「草津湯」 荒川小菅土手下にある銭湯です。葛飾エリアでは銭湯の多くは千鳥破風ですが この銭湯のみが唐破風造りです。シンプルでありながら昔の銭湯を醸しであいています。 東京都葛飾区小菅1-17-3。


    松の湯
均整とれた切妻屋根とドッシリ構える唐破風。そして透かし彫りが素晴らしい「松の湯」 銭湯彫刻でよく見かけるつがい鶴です。
東京都墨田区緑3丁目4。撮影・05.07.07.
  東京銭湯の松の湯。05.07.07. 松の湯のつがい鶴の浮かし彫り。05.07.07


    大正湯

唐破風が見事な大正湯。05.07.07. 切妻屋根もすっきりの大正湯。05.07.07. 見事な唐破風造りの「大正湯」なのですが銭湯の周辺の再開発や高層ビル化の建設ラッシュでやむなく 民の癒しの場も無粋な目隠し板を取り付けるとは残念です。東京都墨田区立川1丁目18。撮影・05.07.07.


    千歳弁天湯
近年全面改装された銭湯の「千歳弁天湯」 創業は明治15年(1882)と歴史ある銭湯 (江戸では湯屋、関西では風呂屋)です。
切妻屋根、唐破風、つがい鶴の透かし彫りこれぞ定番の「東京お江戸の銭湯」なのです。 東京都墨田区千歳2丁目13。
撮影・05.07.07.
  全面リニューアルの千歳弁天湯。05.07.07. つがい鶴の浮かし彫りが見事。05.07.07.


風呂。  室(むろ)から転訛した語といわれる。入浴のために設けた場所。 銭湯。洗湯とも書いた。天正19年(1591)伊勢与市が銭瓶橋(現在の江戸橋付近)に銭湯風呂を建てたのが 始まりと「慶長見聞録」に記載されている。徳川家康が江戸入りの翌年です。入浴料金は永楽一銭であった。  


温泉マーク。  地図記号として温泉地を表す。一般的には公衆浴場を示す記号です。 と答えますがしかしその由来となると答えられません。そこで調べました。
1。万治4年(1661)江戸幕府が農村の土地争いの収束覚書の添付図に温泉記号が 記載され群馬県安中市の磯辺温泉に日本最古の記号を使用したとの記念碑がある。
2。明治12年(1879)陸軍参謀本部が作成の地図にドイツで学んだ測量と記号を使用した。
3。昭和6年(1931)別府温泉亀の井旅館の油屋熊八が創業20周年記念に大掌大会 時に不鮮明な手形をみて温泉マークとして別府観光の宣伝に使用して一躍有名になり一般化した。
等々諸説あります。写真は現在使用される銭湯の暖簾ですが右揺れや左揺れがあります。
温泉マーク-2. 温泉マーク-4.


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