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魅惑の歴史紀行 |
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古の雑多な歴史情報館 |
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'04〜'05年に写真取材で出合った時空を越えてきた者たちや胸躍ったことなどを掲載する雑多な情報館。
主にHPに写真添付しなかったものやコンテンツと関連なきものが中心ですが古に心ときめいた写真集です。
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時代が許した木造三階建て本郷館 ’05.05.19. |
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大正大震災以前が許した木造建築三階建 |
入母屋瓦葺の玄関と四枚引き戸が重厚 |
時代を感じる赤レンガ積み上げ式土台 |
下宿屋本郷館。明治38年(1905)建築の木造三階建て下見板張りです。
東大赤門のすぐ近くにあり東大生の寮的な存在だったのでしょう。
現在も共同トイレ共同炊事場で中庭を囲むように70室あります。
現代の寮住まいの学生には想像できない寮100年の貫禄です。東京都文京区本郷6-20-3。 |
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玄関横の坂道からレンガの上の3階建 |
本郷弥生坂の清水橋の崖上の本郷館 |
巨大下宿「本郷館」は明治38年三河岡崎藩本多家の屋敷跡に建設された。
建てたのは岐阜県根古地村(現・養老町)の庄屋であった酒造業の高橋家。
本郷の下宿や旅館街を形成したのは濃尾地震の被害を受けた西濃地方の出身者達である。
戦前は高級下宿で昭和3年(1928)の東京市(当時)の調査では、
延べ床面積は営業下宿646軒中で最大の375坪で平均部屋数14部屋を大きく上回る76部屋であった。
東大正門から徒歩4分の木造3階建て下宿は東大生や東京芸大生、一時期は東京女子高等師範学校
(現・御茶ノ水女子大学)の寄宿舎だった時期もある。
現在でもほとんどの部屋が3万円前後でトイレ・炊事場は共用、浴室は無くなり銭湯利用で
部屋は主に6〜10畳の和室である。
建築学会や専門家では規模や形態で希少性が高く重要文化財にも匹敵と評価。
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東海道の上り起点は京・三条 ’05.05.14. |
旧日本銀行京都支店(現京都文化博物館別館)建築明治39年(1906)設計辰野金吾で赤煉瓦と白い
御影石を織り交ぜたクイーンアン様式の明治建築です。偶然にもリニューアルオープン日であったが
館の事務官のご好意で準備中の館内へ入れていただいた。三条通りは東海道の上りの起点でかっては京都の
中心であり数多くの文化財建築があると説明頂き
「仁丹の住居表示琺瑯看板」 もお教えいただいて感謝。
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旧日銀京都支店の内部です。写真左から屋上の銅板装飾された3連の天窓と換気口、
意外と天井が高い吹き抜けの一階ロビーと二階部分に取り付けられた空中回廊そして
中庭に面した白い窓枠のガラス窓には京らしく甍が写っている。
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京都市中央区三条高倉北西。重要文化財。撮影・05.05.14.
日本生命京都三条ビル。辰野金吾設計。大正3年(1914)竣工。
この建物は耐震性を強化させるために辰野金吾の赤煉瓦造りに鉄筋を入れその上に片岡安設計の
石張り技法で直線的な外観に仕上げている。辰野式建築では非常に珍しいのです。
昭和58年に改築され塔屋を含む東側部分が補強され当時の外観を今に残す。
中京区三条通り柳馬場北西角。京都市有形文化財。 |
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関連事項の掲載ページは
孤高の時計塔辰野金吾の東京駅。
看板/ポスター仁丹住居表示の琺瑯看板。
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旧中京郵便局旧庁舎。
明治7年(1874)に現在地三条通東洞院菱屋町で当初西京郵便役所として開設された。明治8年京都郵便局と改称。
ネオルネッサンス洋式のレンガ造りであり逓信省営繕課の吉井茂則が設計して京都郵便電信局として
明治35年(1902)竣工。昭和51年の改築で屋根と外壁が保存される。 |
旧毎日新聞社京都支局はシンプルなデザインで社章である星が屋上ベランダに付いている。
建築年は昭和3年(1928)設計は武田吾一。京都市有形文化財。
中京区三条通り御幸町東入ル。撮影・05.05.14. |
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京都ダマシン旧家辺時計店。明治22年(1890)のレンガ建築で正面アーケードの3連アーチが見事です。
店舗内には2階に上がる螺旋階段と大きな出入り口の蔵が隣接している。
中京区三条通り富小路東入る。 |
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SACRA /旧不動貯蓄銀行京都支店。大正5年(1916)建築。
角張ったデザインの石張りの外観でその雰囲気を活かし昭和63年(1988)に改装してファション関係の
テナントビルとしてSACRAの名称で建物の再生を図っている。登録有形文化財。
再開発の名のもとで建て替えるのではなくコストは掛かるが外壁を保存した改築を是非願いたいものです。
貴重な民の歴史的遺産ですから。京都市中央区三条通り富小路西入る。 |
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石垣それは無名の石工たちの技 ’04.11.18. |
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切込みハギ積みの石川門 |
打ち込みハギ積みの菱櫓 |
打ち込みハギ積み石垣の刻印 |
加賀百万石前田利家の本城の金沢城。見事な石積み技法で築かれた石垣。
この土台を築いたのは無名の民や石工達でその証である石垣に刻印された無数の印。 |
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金沢城は石垣の博物館のようです。
風雪に耐え時を重ね続けてきた石垣達に時代の浪漫を感じます。
自然石を積み上げた野面積み・形状揃えた打ち込みハギ積み・
隙間無く加工の切り込みハギ積みが主流です。 |
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珍しい同場所異型です |
切込みハギ積み加工と積み方見本 |
接合部分が隙間ない切込みハギ積み |
利家が文禄元年(1592)に平山城であった金沢城の石垣改修にのりだした。当初は野面積みでした。
以降慶長年間から寛永8年にかけて(1596〜1631)全ての石垣が完成したが
石工達の見事な技に感嘆です。 撮影・04.11.18. |
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金沢城下町・古の面影 ’04.11.17. |
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金沢ひがし茶屋街。2階を客間とする独特の茶屋建築は一見の価値ありです。夕暮れ迫る頃には三味線や
鼓の音そして化粧の香りが漂いまるで藩政時代の城下町の男の世界のようです。
現在まで仕来たりを継承してきた芸妓や無名の民達に感謝。まさに民の遺産です。 |
長町武家屋敷跡界隈。藩政時代の武家屋敷の面影を残す土塀と用水路が続く迷路のような長町です。
今にも潜り戸が開き太刀を左手にした武家が出てきそうです。撮影・04.11.17. |
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川沿い主計町茶屋街 |
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にし茶屋街と主計町茶屋街。犀川を渡ればにし茶屋街ですが茶屋店舗は意外と奥行きが深いのです。そして
犀川沿いの主計町(かずえまち)茶屋街と夜の世界へと誘うような雰囲気を醸しだしている。 |
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