|
|
伝承と伝統の民族文化遺産 |
|
|
祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
|
|
|
|
誕生八幡神社 「例大祭」 平成19年10月 (毎年) |
神輿データ: 祭神: 不明 台座:二尺(61)(子供神輿の転用?) 建造年度: 不明 製作者: 不明
特記: 唐破風軒屋根 勾欄造り 毎年渡御の神輿 「誕生」と称するのはこの神社のみです |
|
|
社名に誕生を付けた珍しい八幡の台座二尺の小振り神輿を四天棒で担ぐ |
|
|
|
|
誕生八幡神社例大祭。
宮神輿は二尺弱の小振りな神輿で旧子供神輿の転用のようです。
渡御日:07.10.07.(毎年)
品川区上大崎2-13-36 JR目黒駅
|
|
|
|
目黒通りの誕生八幡前を渡御 |
東急目黒駅前で渡御のご挨拶 |
JR目黒駅西口交差点でのご披露差し上げ |
誕生八幡の宮神輿は小振りな神輿ですが担ぎ手達の気概は決して大神輿に負けていません。
目黒大通りを悠然と渡御をして、
地元鎮守の神社の例大祭ゆえにJR目黒駅西口交差点では差し上げまで披露です。 |
|
|
|
|
秋の夕暮れは早い。町会神輿は巡行の半ばなのにビルの隙間から晩秋の夕日で茜色に染まる神輿みながら、
喧騒の中で何故かもう秋だと実感する。 |
首都高架下から目黒通りに入り込む |
ビル谷間の夕日を浴びながら目黒通りを巡行 |
|
|
|
|
|
にこやかに楽しむ今年最終の神輿担ぎを |
神輿担ぎ満喫の同好会のメンバー |
双龍会、風じん、藤龍睦の同好会の方々 |
早いもので神輿担ぎも今年の最終コーナーです。
夕暮れの中、毎回神輿の情報を頂く双龍会と友好同好会の風じん小山の藤龍睦の皆さんをお神酒所権之助坂で記念撮影。
未集合の会員は分散して只今他の神輿担ぎに奮闘中とか。
担ぎ始めて7ヶ月のあっという間の月日ですが、楽しみの今年最後の〆の担ぎがまだあるとか。 |
|
|
|
|
誕生八幡神社 「例大祭」 平成18年10月 (毎年) |
|
|
|
誕生八幡神社。この神社は文明年間(1469〜1487)に太田道灌が夫人の懐妊にあたって安産を祈願し
筑前国(福岡県)宇佐八幡を勧請したもの。
そして無事に男の子が生まれたことから「誕生八幡」の名がついた。
八幡神社はごまんと有るが「誕生」と称するのはこの神社のみです。
神幸祭:10月08日(日曜)
東京都品川区上大崎2-13-36 |
誕生八幡神社は雉子神社の摂社(本社と末社との間に位し本社の境内と境外にあるものとがある)
宮神輿はそれほど大きくは無いが西日を浴び逆光の中で渡御開始を待つ
大人神輿、女神輿、子供神輿が車道で鎮座していた。
|
|
|
|
|
|
宮神輿が女神輿子供神輿と待機中 |
町内神輿の後に宮神輿が渡御を始める |
|
|
|
目黒駅前西口町会神輿
巡行の途中で誕生八幡神社鳥居前でのご挨拶の差し上げは担ぎ手達の息のあった見事さです。
神輿はただ大きいだけではなく担ぎ手達の気合と情熱とで活き活きとなり豪華絢爛となるのです。 |
八幡鳥居前でのご挨拶の差し上げ |
誕生八幡で休息の拍子木が鳴る |
|
|
|
|
|
JR目黒駅構内に東口から入り込む西口町内神輿の担ぎ手達と介添え役達は此処ぞとばかりに一層気合が入る。 |
目黒駅東口階段を神輿が入り込む |
吊り看板を避けながらの構内巡行 |
目黒駅中央改札口前を巡行する神輿 |
|
恒例の駅構内巡行であるが乗降客の全てが驚きと歓喜の声で喝采を神輿に投げかける。 |
|
|
|
|
目黒駅構内西口にて折り返す神輿 |
障害物あろうと魂振りは止らない |
東口を潜り抜けヤッタと神輿の表情 |
西口町会神輿が目黒駅構内を巡行する。驚き感動しました。
急な東口石段を登り低い天井に大鳥が触れぬように吊り看板を避けて狭い構内を蛇行しながら
それでも気合の入った魂振りを続ける神輿。
各町会から5名の担ぎ手が選抜され先導役や介添役と一体になっての構内巡行です。
非日常的な光景に偶然出くわした乗降客も歓喜と拍手で神輿に喝采です。
やはり「祭りだ!神輿だ!」は日本人の心の故郷なのです。 |
|
|
|
|
雉子神社 「例大祭」 平成18年10月 (未調査) |
|
|
|
創建は文明年間で当初は「荏原宮」と称されていたが、
慶長年間に徳川家光が鷹狩の折に白い雉子が境内に逃げ込む姿を見て「雉子ノ宮」と称されるようになった。
平成6年境内に高層ビルが建設されて社殿はビルの一階中央にひっそりと佇む。
東京都品川区東五反田1-2-33。
雉子神社摂社:誕生八幡神社。 |
|
|
境内に飾られた12本の氏子町内祭り手拭い。宮入しない町内神輿を慕うのか |
雉子神社(通称・雉の宮) の氏子区域は、五反田駅、目黒駅周辺の21町会。
例年行なわれるお祭は村の鎮守の神様へ村中(今は町中)で一年間の感謝をする日です。
残念ながら宮神輿はありません。
|
|
雉子神社の西五反田町会「一二三」神輿。
町会神輿の巡行をゲットしようと西五反田町会会館に出向くと神輿に担ぎ棒を付けておらず
町会役員の方にお聞きすると平成15年以降担ぎ手200名が集まらずなんと大神輿の巡行は今後も未定とのこと。
祭りの伝統の民族文化が途絶えつつある状況が誠に残念!! |
|
|
|
|
|
静かに鎮座する一二三町会神輿 |
子供神輿も何故か寂しげ |
JR山手線五反田駅から桜田通りを高輪方面へ進むとゆるやかな上り坂が「相生坂」と呼ばれている。
その東側歩道沿い陸橋の先のビルの中にすっぽり入っている神社が雉子神社です。
幕末の切絵図「品川・白金・目黒辺之絵図」には、松平陸奥守(仙台藩)下屋敷に隣接して雉子宮が記されている。
明治維新後は雉子神社と改められたが雉子宮は今も通称として使われている。
池波正太郎著の「仕掛人・藤枝梅安」の主人公はこの雉子宮の鳥居前の小川を隔てた南側で、
ちょっと風雅なわら屋根の小さな家に住んでいるという設定で描かれている。 |
|
|