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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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品川神社 北の天王祭 中神輿と大神輿宮入道中 平成19年6月(不定期) |
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大拍子と篠笛による品川拍子の城南担ぎで激しく左右に行きつ戻りつを繰り返し前進して来る |
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品川神社例大祭。「北の天王祭」07.06.10.
東京都品川区北品川3−7−15。
神社の由来は、後鳥羽天皇の文治三年に(1187)源頼朝が海上交通安全と
祈願成就の守護神として安房国(千葉県館山)の洲崎明神である天比理乃当ス(あめのひりのめのみこと)
を勧請して品川大明神と称したのが始まり。 |
葵神輿。寛永年間(1624〜1643)の神輿で品川区指定有形文化財です。
第三代将軍徳川家光(御台所=将軍正室が生んだ将軍は家光のみ)
奉納の神輿は三社祭りで有名な浅草神社に三基
(一之宮、二之宮、三之宮)と品川神社に一基(葵神輿)がある。 |
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神幸祭の主役は中神輿で別名赤面神輿といわれ品川神社の北の天王祭は天下一なめ祭と称される。
神社正面の石段53段の急階段を観衆の歓声のなか担ぎ上げる惣町神輿の宮入りは圧巻。 |
猿田彦が中神輿を先導します |
お神酒所で神を乗せた神輿でお祓い |
萬鈴?の町会山車 |
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品川拍子に合わせて中神輿が来ました |
城南担ぎの左右に振りながら |
赤面神輿は渡御していく |
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神輿指揮者から差し上げ指示が出る |
息の合った差上げ太鼓の撥止めずに |
決して奏でる品川拍子は途切れない |
品川拍子の要の括り太鼓は雨に濡れて張りを失う。手際よく神輿に随行の予備太鼓に取り替えられ、
激しい揺れに緩んだ赤面を締め直す。渡御再開です。 |
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@品川拍子に合わせて大きく左へ押す |
A介添い役が力一杯右へ押し戻す |
B担ぎ手が介添い役に合せて押し返す |
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C道幅広ければ思い切り神輿を振る |
D後方担ぎ手は前方とは逆方向に振る |
E殿介添い役が押し担ぎ手は蟹歩きで前進 |
神輿に付けられた大拍子と篠笛による品川拍子にのり、
「ちょいちょい」といわれる「城南担ぎ」で渡御する。
この担ぎ方はもと漁師町であったこの地区独特のもので、
波にもまれる舟を表したとも言われ小刻みに激しく神輿をもむ担ぎ方で、
さざ波のように神輿を揺らしたりして担ぎ
人波の中を行きつ戻りつ進む様は荒波にもまれた船のようです。 |
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明治の大神輿が、
京急と都バス数十台で北品川にぞくぞくと集結してきた担ぎ手の中へトラックに搭載されて悠然と現われた。
やっと渡御の主役が揃い、
中神輿が先導して北品川から品川神社鳥居前まで国道第一京浜500Mの連合渡御が始まった。 |
明治の大神輿がトラックに乗り第一京浜に |
先導の中神輿が激しく揺らしもみながら |
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皇室の慶事の時のみ渡御する明治17年(1884)建造で2トンの大神輿。
この千貫神輿は大正13年(1924)までは毎回渡御していたのです。
歴史を積み重ねてきた証しの黒光りと、台座広く重心が低くい城南神輿特有のその風貌を醸しだす明治の大神輿です。 |
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中神輿通過15分後に大神輿が激しく揉まれ |
大神輿を激しく揺すり180度回転させる城南担ぎ |
大神輿の前進に5分かけての通過です |
中神輿も大神輿も第一京浜上り4車線で城南担ぎが一変です。
激しく揺すり神輿は大回転する。警備官の危険だ一般客は車道に入るな!
担ぎ手達の和したような掛け声、神輿指揮者の大声前だ、前進だ!観客の歓声で品川拍子はかき消される。
行きつ戻りつ大回転させる連合渡御は担ぎ手達の熱気の渦です。 |
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