歴史の 浪漫街道  お江戸の神輿  格天井の馬乗絵で有名な矢先稲荷神社の例大祭。氏子町内隈無く渡御
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    矢先稲荷神社 例大祭 平成19年6月 (毎年)



大例祭ポスター。07.06.17. シンプルな大祭ポスター。07.06.17. 矢先稲荷神社の祭提灯。07.06.17.   矢先稲荷神社。
例大祭 07.06.17.
(2年に一度の本祭)本祭りは午前から陰祭りは午後から渡御します
東京都台東区松が谷2-14-1。

天井馬絵がある矢先稲荷神社の拝殿。07.06.17   寛永19年(1642)京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、 通し矢(定められた時間にどれだけの矢を通すかを競う) その矢場の先に祭られたところから、矢先稲荷と名付けられた。 堂はその後、元禄11年(1698)に焼失し、再建されたのは深川で 神社だけは地元民の要望でこの地に残る。

拝殿格天井の馬乗絵。07.06.17. 織田信長の馬乗絵。07.06.17. 護良親王の馬乗絵。07.06.17.
拝殿格天井一面に馬乗姿の馬絵 勇猛さの織田信長 気高さ漂う護良親王

天井画馬絵。拝殿の格天井には、日本の歴史上の代表的人物の乗馬姿 を描いた100枚の絵が奉納されている。人物、馬の姿態、武具、 服装などすべてが精密な考証のもとに描き上げられていて、 馬にまつわる歴史が一目瞭然に理解できる貴重なものです。
絵は画家の海老根駿堂(明治38年〜平成元年)
◎織田信長。(1534〜82年)戦国・安土桃山時代の武将。天下統一を志す。 京都本能寺にて明智光秀に襲われ自刃。 安土桃山文化や楽市楽座を築き豊臣秀吉、徳川家康を輩出する。
◎護良親王(もりながしんのう)(1308〜35年)後醍醐天皇の第一皇子。 建武の中興に活躍、征夷大将軍となる。 のち足利尊氏と反目して鎌倉に幽閉され足利直義に殺される。

 

征夷大将軍: 平安初期は蝦夷征討のために派遣された将軍で源頼朝以後の鎌倉・室町・江戸は 幕府の主宰者で兵権と政権を掌握した者の職名となる。  


矢先稲荷神社の本社神輿。
昭和4年の建造時に戻す修復を平成12年に行う。 神輿の堂の両脇の彫刻が素晴らしく堂は細めですが美形の宮神輿です。
  囲い垣や鳥居も見事。07.06.17. かっぱ橋道具街通りを渡御の美形の本社神輿。07.06.17.

宮司による発輿式。07.06.17. 各町会役員が宮神輿に榊を奉納。07.06.17.   拝殿前に渡御の飾り付けをおえて鎮座した宮神輿の発輿式が宮司により厳かに執り行われ、 各町会役員が宮神輿に榊を奉納していよいよ睦による宮出しです。


睦と青年部による宮出しです。07.06.17. 鎮守の森の緑陰から鳥居へと向かう。07.06.17. 鳥居を潜り抜けて町中へ。07.06.17.
本社神輿が睦により担ぎ上げられた 鎮守の森の緑陰の中を鳥居へと進み 鳥居を潜り抜けて強い朝日射す町中へ

  本社神輿の渡御

山車が渡御の列を祭囃子で先導。07.06.17. 神職と共に猿田彦が一枚歯高下駄で道案内。07.06.17. 本社神輿が威勢よく渡御です。07.06.17.
松葉睦の山車が祭り囃子奏でて 神職はお祓いし猿田彦は神輿の先導 威勢よい掛け声と来ました本社神輿が


本社神輿の渡御は9時から宮入の18時まで 一日かけて碁盤の目のような松が谷2丁目の氏子町内を縦横に隈なく渡御するのです。 18回におよぶ神輿引渡しがあり、担ぎ手達は必ず数回担げるためか和やかな雰囲気の渡御です。  


揺ったりと思い思いに神輿を担ぐ担ぎ手たち。07.06.17.
粋ですね〜揃いの半纏に姉さん被り。見栄えだけじゃ駄目よと神輿支える双龍会のメンバーも大活躍です。



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