寛永19年(1642)時の三代将軍徳川家光が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、
京都三十三間堂にならい江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立した。
通し矢(定められた時間にどれだけの矢を通すかを競う)が盛んに行われてました。
その矢場の先に祭られたところから、矢先稲荷と名付けられました。
堂はその後、元禄11年(1698)に焼失し、再建されたところは深川でしたが
神社だけは地元民の要望でこの地に残り、現在に至っている。
拝殿の格天井には、神武天皇の時代からの「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されています。
人物、馬の姿態、武具、服装などすべてが精密な考証のもとに描き上げられていて、
馬にまつわる歴史が一目瞭然に理解できる貴重なものです。 |
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