歴史の 浪漫街道  お江戸の神輿  八王子多賀神社の千貫神輿。 真夏炎天下の担ぎ手1600名で大神輿渡御
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    多賀神社 千貫神輿の渡御 平成19年8月  (毎年)



八王子まつり歓迎提灯ゲート。07.08.05. 渡御を待つ先触れ高張り提灯と氏子総代。07.08.05.   紡ぎあげた伝承と引き継がれた伝統の八王子まつりが開催です。
氏子12町会の先触れ高張り提灯や氏子総代も揃いました。今から多賀神社の千貫神輿の渡御です。

多賀神社。 天慶元年(938)の創建で、八王子の西半分の総鎮守と呼ばれている。
古くは高宰たかさい明神といい元禄年間(1688〜1704)に多賀明神と改称した。 境内には織物業の方や織子が信仰した機守はたもり神社がある。 例大祭は上かみの祭りとして8月15〜16日におこなわれていたが、昭和41年から八王子まつりに総合された。
多賀神社: 東京都八王子元本郷町4丁目9-21。
 

貫禄十分の多賀神社の圧巻千貫神輿。07.08.05.   多賀神社千貫神輿: 神輿および神輿台車は氏子12カ町共有で、明治15年(1882) 浅草で建造され江戸様式の正統工法の遺構を残している。 高度の技術が駆使されており典雅な外観を形成している。 神輿の総重量4トン、高さ2.5メートル余の都下有数の規模の大神輿である。
八王子市の有形文化財です。

八王子の地名: 平安時代、華厳菩薩という名僧が現在の元八王子に庵を建て牛頭天王とその8人の王子を祀って八王子権現と呼んだが、 その後北条氏康の次男氏照が現在城山とよばれている山に築城し城内に八王子権現を祭ったことから八王子城とよばれ、 それが八王子の地名の由来になった。  

千貫神輿が悠然と仮宿から現われる。 息の合った氏子青年団。07.08.05. 大神輿ゆえ直角に進路変更も一苦労。07.08.05.
渡御のために仮宿を千貫神輿が悠然とでる 氏子担ぎ手達に担がれて 屈指の大神輿の風格漂わせる

多賀神社氏子青年団による仮宿追分三叉路からメーン会場への担ぎ出しです。 さすがは千貫神輿、周囲の喧騒をものともせず悠然と会場の甲州街道に出陣。  


  屈指の千貫神輿渡御

渡御合図に担ぎ手達は手を差し上げて応える。07.08.05. 気合は十分、渡御開始です。07.08.05. 勇ましい掛け声と魂振りに観衆は歓喜。07.08.05.
総指揮者の渡御開始の合図に手を差し上げ応える 担ぎ手たちが大神輿を威勢よく魂振り 息の合った掛け声に歓声が沸く

さあ大神輿、多賀神社の千貫神輿の渡御開始です。 15時から3時間掛けて追分三叉路から八日辻までの約1KMを1600名の担ぎ手で渡御です。 神輿総責任者の渡御合図に担ぎ手達が手を差し上げて即魂振り担ぎ手達の気迫十分です。  


猛暑と重さに絶えかねてぶれだす。07.08.05. 必死に体勢修正にも大神輿が定まらず。07.08.05. 大神輿やっと前進です。07.08.05.
あまりの重さに担ぎ手堪えられず大きく振れだす 介添役達が必死に体勢修正も逆にずれる 体勢整えやっと大神輿が前進していく

関東屈指の千貫神輿が甲州街道を狭しと揺れ動く様はまさに圧巻。これぞ 祭り!神輿!です。  


大神輿は遅れていると後方確認の先触れ高張り提灯。07.08.05.
千貫神輿を先導する氏子12町会の先触れ高張り提灯

大神輿の圧力に介添役も大苦戦です。07.08.05. 大迫力に高揚する担ぎ手達と観衆。07.08.05. 先棒に担がせろと群がる担ぎ手たち。07.08.05.
先導介添役を補佐する介添役 圧巻大神輿に高揚する担ぎ手達 担がせろと先棒に群がる担ぎ手達

大神輿の大圧力に先導介添役を支えろと補助の介添役が付きます。 担ぎ手達も大神輿の大迫力に高揚し「担がせろ!」「割り込むな!順番だ!」 先棒、鼻棒は担ぎ手達の大争奪戦ですが、千貫神輿はそれでも前進していきます。  


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