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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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葛ヶ谷御霊神社 八咫烏の渡御 平成19年9月 (隔年 ? ) |
神輿データ: 祭神: 応神天皇 台座:二尺六寸(80) 建造年度: 昭和11年 製作者: 不明
特記: 二羽の八咫烏の神紋を掲げた大唐破風軒屋根 勾欄造りの総彫神輿です |
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駒札本宮を掲げる宮神輿は八咫烏の屋根紋と彫りの深い総木刻神輿 |
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寛治年間(1087〜94)陸奥守源義家、鎮守府将軍として奥州の阿部討伐で勝利し、
神威あらたかな氏神八幡宮および神功皇后、武内宿禰を祀り御霊社と称した。
例大祭:07.09.09.(日曜)
新宿区西落合2-17-17。 |
葛ヶ谷御霊神社の宮神輿。
大唐破風軒屋根の前後に二羽の八咫烏の神紋を掲げた屋根から
野筋、胴、鳥居、台座まで木彫を廻した総彫神輿です。
八咫烏の神紋はよく観察しないと判読できぬほど彫りが浅いのです。
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屋根紋の八咫烏は二羽が向き合っている紋で神輿の前後に、三つ巴紋は神輿の左右に取り付けている。
八咫烏(やたからす):@中国古代説話で太陽の中にいるという三本足の赤色の烏。
A記紀伝承で神武天皇東征のとき、熊野から大和に入る険路の先導となった大烏。 |
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発輿式終えて即の宮出し |
嬉しや担ぐは二年振りの笑顔 |
境内を後に威勢よく鳥居に向かう |
鳥居を潜り出て両側の屋台を掻き分けてきた宮神輿。
公道に出ると同時に勇ましい掛け声そして魂振りです。
二年振りに担ぐ気合が滲み出ています。 |
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発輿式を古式に則り行うのは宮司の長女です。
神社のもっとも重要な神幸祭を取り仕切る。これも時代の流れでしょうか。
頑張れ!将来神社を背負う未来の女性宮司よ! |
祭り囃子に導かれ神社をでる |
発輿式の妙齢の神職は宮司の長女 |
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お囃子山車に先導されて威勢のよい掛け声と神輿揉みで渡御 |
葛ヶ谷(くずがや)地名の由来 :昭和7年に現西落合に名称変更までの旧葛ヶ谷村。
この葛ヶ谷の葛ですが、御霊神社には、都から追放された葛野大納言の話が伝わっているが実在しません。
葛野(かどの)は京都にある古い地名です。
印半纏の文様は葛ですが、くず粉や葛根湯の産地であったかは編集者は未確認。 |
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