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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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戸越八幡神社 平成25年09月 (3年毎) |
祭神: 誉田別尊 台座:三尺三寸(100) 建造年度:平成3年 製作者:行徳・浅子周慶
特記: 野筋に龍を配した延軒屋根 胴羽目木彫 平屋台造りの背高神輿 戸越拍子で担ぐ |
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重量感ある御本社神輿が旧中原街道を戸越拍子にのり城南担ぎで悠然と渡御してくる |
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戸越八幡神社 '13.09.08.(日曜) 神社宮出し6:30 (車輛にて搬送)
発輿式8:20 (小山台2丁目) 9:00担ぎ出し〜納め担ぎ18:10(神社) 品川区戸越2-6-23 |
氏子別渡御のPOP |
八幡文字に鳩が |
爽やか氏子役員半纏 |
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戸越八幡神社は大永6年(1526)に行永法師が草庵を作り、
またそこに京都の石清水八幡宮から分霊を勧請したことに始まる。 |
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旧中原街道を城南担ぎで南下してくる |
神輿責任者から小休止まえの差し上げ指示 |
神社での神事終えて車載で転送して小山台かむろ坂上での発與式。
渡御は氏子全21ヶ町を6地区に分けた地区渡しで
小山台地区、後地地区、荏原地区、平塚地区、宮本地区、宮本第二地区、夕刻に納め担ぎで宮入です。 |
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重量感ある御本社神輿が渡御の旧中原街道での小休止前の差し上げご挨拶 |
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熱い中の渡御再開で隊列を先導する猿田彦 |
渡御路を清める様に雅楽が奏でられ宮司が続く |
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荏原地区最後の担ぎだと担ぎ手達は戸越拍子に押してはひいて酔いしれる様に担ぐ |
大拍子のついた城南神輿ですので「ちょいちょい」という城南担ぎでの渡御が本来のなのですが、
各町会神輿は城南神輿と「ホイサホイサ」の江戸前神輿が混在しているため、
担ぎ方は地区や町会により違いがあります。 |
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曇天のなか平塚氏子役員が神輿引受けの出迎え |
荏原の担ぎが平塚地区渡しに入り込んできた |
平塚地区引渡し場所には戸越地蔵尊が建つ。品川区の有形民俗文化財です。
旧中原街道沿いの戸越地蔵尊は古くから子育地蔵として 今も多くの民から信仰されている。
江戸中期の建立です。 保存維持はよい。品川区荏原2-9。 |
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中原街道の戸越銀座商店街西口から入り込み狭い道幅一杯使い城南担ぎ繰り返す |
戸越銀座商店街: 大正12年銀座通りの赤煉瓦を譲り受けて舗装に使用したことから「銀座」を命名。
日本一長い東西1600mの商店街で約400の店舗がある。 |
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曇天の戸越銀座商店街を多くの観衆引き連れて悠然と八幡神社納め担ぎへと渡御していく |
戸越八幡神社の「納めの担ぎ」とは、神社参道が狭く神輿を境内に担ぎいれる事ができないため、
御本社神輿が神社裏にあたる区間を宮入りとして担ぐのです。 |
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古歌に「江戸越えて 清水の上の成就庵 ねがひの糸の とけぬ日はなし」という詠がある。
成就庵は戸越八幡神社の起源となった草庵である。
ここに詠まれているようにこの地は江戸越えの村ということで、
「江戸越」(えどごえ)がやがて「戸越」という地名になりそれが現在の地名になっているといわれている。 |
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