歴史の
浪漫街道
孤高に佇む麻布善福寺の大古木、首賭けイチョウの凛とした樹勢。古木達!環境に負けるな。
古木名木達の歴史的遺産
イチョウの名木達/イチョウの名木・都内
丸の内行幸通り74Mのイチョウ並木から東京駅の赤煉瓦駅舎を望む。 東京都中央区丸の内2丁目。
撮影・05.11.13.
同じ場所の丸の内行幸通りのイチョウ並木から東京駅の赤煉瓦駅舎を遠望する。
皇室行事と外国大使の信任状捧呈の際、東京駅より馬車で皇居に向かうために作られた通りで 大正12年(1923)の関東大震災の後に整備植栽されて樹齢は80年。撮影・06.11.22.
元麻布善福寺
国指定の天然記念物(大正15年指定)である元麻布善福寺の都内最大の古木の大イチョウ。
この気根や乳状下垂をご覧ください。大古からの遺伝子のなせる業なのか。
昭和20年の東京大空襲では、この巨樹も被害を受けたが今なお往時の偉観をうかがう事ができる。 背後には29階建ての元麻布ヒルズや大使館があり、 都心の真ん中での風雪に耐えるこの生命力にはただただ感嘆するのみである。
樹齢約770年。
撮影・04.12.17.
麻布山善福寺。 東京都港区元麻布1-6。平安時代弘法大師により開山された都内では最古の寺院であり 福沢諭吉の墓がある。入口石碑と本堂前の大イチョウの根元の案内板には安政6年(1859)から 明治8年(1876)の間、米国初代公使ハリスの公使館が置かれたとある。
赤坂氷川神社
氷川神社のこれぞ古木の大イチョウの名木です。鬱蒼と生い茂る境内の中心に悠然と枝を伸ばし 大イチョウの風格を醸し出している。この古木は
樹齢約400年以上
の雄株で港区の指定(平成6年) 天然記念物です。氷川神社は享保15年(1730)の建立であるがこの大イチョウはそれ以前の 100年前からあると言い伝えられている。港区赤坂6丁目10。撮影・05.11.25.
鬱蒼とした氷川神社への参道と境内入口脇の樹高が高い大イチョウです 撮影 05.11.25.
山王日枝神社
新参道の山王茶寮前
鎮守の森の幻の名木
男坂鳥居横大イチョウ
山王日枝神社の見事なイチョウの古木達をご覧下さい。
左側。 赤坂口鳥居から良く見える新参道の山王茶寮前の大イチョウで写真の角度で表情を変える樹齢は200年。
中央。 山王さんの鎮守の森のこの古木の大イチョウは一般の参拝者には見ることが出来ない幻の大イチョウで 昭和20年の戦火に遭いこのイチョウは焼け焦げたが強力な生命力で悠然と自己主張をしている
樹齢は約500年
か。
右側。 男坂参道横の樹高が30mを越す2本の大イチョウは隣接ホテルの陰で黄葉時期に差がある樹齢は約300年。 東京都千代田区永田町2-10。
山王日枝神社は大田道灌が文明10年(1478)江戸の鎮護神として祀ったのが始まりです。
芝東照宮
芝東照宮の大イチョウ。芝東照宮もと増上寺安国殿は寛永18年(1641)に3代将軍徳川家光が再建し同時にイチョウを 植えたと伝えられる。明治の神仏分離によって独立して芝東照宮となる。昭和5年国の天然記念物の石碑が 建ち文化財保護法の改正により昭和31年東京都の天然記念物に指定される。 周辺には樹木が生い茂り撮影スポットなく境内からは全体を撮りきれぬ大きさです。
樹齢約400年。
東京都港区芝公園4丁目8。撮影・05.12.13.と黄葉直前の05.12.03.
芝公園日比谷通り
芝公園芝東照宮の大渋滞する日比谷通りを挟んだ向側の大イチョウ。 無名であってもこの日比谷通り沿いに生き生きと樹勢を誇るイチョウで幹周りは3mある。 日本で最も古い公園の一つでクスノキ、ケヤキ、イチョウなどの大木が多くある。 港区芝公園2丁目6。公園12号地。撮影・06.11.21.
日比谷公園首賭けイチョウ
日比谷公園松本楼前の首賭けイチョウ。もと日比谷見附(現在の日比谷交差点脇)にあった大イチョウが 明治32年(1900)道路拡幅工事に伴い伐採されそうになり日比谷公園生みの親である本多清六博士が 移植不可能とされていたものを「首を賭けても移植させる」と東京市に要請し実行した事から呼ばれる。 見事な古木の大イチョウです。
樹齢約400年か
。千代田区日比谷公園1-2。撮影・05.12.03.
今年は日比谷公園の首賭け大イチョウの黄葉をゲットです。 都心のど真中の緑豊かなオアシスで有るが故に密集した樹木の中で写真撮影のポイントが難しい。 近ずけば全景が入らぬ大イチョウで遠望すれば周りの樹木が妨げる。 撮影・06.11.21.
日比谷公園。 松平肥前守屋敷跡で明治は陸軍練兵所で明治36年(1903)本多清六博士設計による洋式公園の 第一号として開園。
松本楼。 日比谷公園開園と同時の開業で10円カレーチャリティーセールで有名な老舗です。
赤坂勝海舟邸址
勝海舟邸址のイチョウ。勝海舟が晩年過ごし寵愛したイチョウとか。その当時から大きかったのでしょう。 イチョウの横には昭和5年建立の史蹟勝安房邸址の石碑が建つ。
樹齢は約150年前後
です。 東京都港区赤坂6丁目6。撮影・05.12.03.と11.25.
夢はまぼろし、月日の流れは矢の速さにもあい似たりとやら・・・(中略)
時の流れに、世のさま、人のさま移り変わりて、仰ぐ赤坂の朝日の、そして夕日の幾度。
ああ、ほんに人様ならでも心はあるもの。銀杏のこの身とて、軽やかな五月の風に何の屈託もなくさやさやと、 緑の葉を鳴らして歌う時もあれば、冷たい雨の夕暮れには今は遠くなった人々のことを思って、 涙のしずくを落とすこともあるのでございます。そっと瞼をとじれば、今も心に・・(中略)
(赤坂物語・河端淑子著・プロローグより 都市出版・ 上記の大銀杏の写真が採用掲載されました)
慶応大学三田キャンパス
慶応大学三田キャンパスの大イチョウ。その下は学生達の待ち合わせや談笑の場所です。 美形のイチョウであり慶応の開校明治4年(1871)に植樹とすれば
樹齢は150年前後
です。 左の写真を拡大してご覧下さい。背後には黄葉しはじめたイチョウ並木がこの大イチョウをいっそう引き立てる。 キャンパスの東北側には多くの樹木に囲まれた古木の樹齢200年は越すと思われる大イチョウがあります。 東京都港区三田2-15。撮影・05.11.25.
慶應義塾:福澤諭吉が安政5年(1858) 築地鉄砲洲の中津藩中屋敷内(現在の中央区、聖路加病院あたり)に蘭学塾を開いたのが慶應義塾の起源。 慶應4年(1868)時の元号にちなみ塾名を「慶應義塾」に。明治8年(1875)三田演説館開館で日本最初の演説会堂。 重要文化財で現在の三田キャンパスの始まり。 最も有名な福澤諭吉の言葉「天は人の上に人を造らず」『学問のすゝめ』の原文では 「……人の下に人を造らずといへり」と続く。
東京大学工学部1号館
東京大学工学部1号館前の大イチョウ。ドッシリと構えていて悠然と枝を張り力強さ豊かさを感じる 大イチョウです。幹の胴回りから判断すると
樹齢約300年か
東大は加賀前田屋敷の跡地でありその時代から植樹されていたと考えられる。 古木の大イチョウの名木間違いなしです。 東京都文京区本郷7丁目3。撮影・05.11.25.
東郷記念公園と九段小学校
鮮やかに黄葉した東郷記念公園のイチョウ。気根もみられ
樹齢は100年以上
です。 千代田区九段南1-2。撮影・05.12.07.
やっと色ずき始めた都立九段小学校のイチョウ。尋常小学校として明治36年(1903) に開校されたが関東大震災で校舎は全焼する。 震災復興小学校として大正15年(1926)現在の鉄筋コンクリート校舎が落成。 開校時の植樹であれば
樹齢100年
。 千代田区三番町16。撮影.05.12.07.
東郷記念公園。 日露戦争時の日本連合艦隊司令長官東郷平八郎の私邸跡を昭和4年に震災復興事業として公園になる。 明治38年(1905)に私邸前の西側の坂を麹町区会で議決し東郷坂と命名している。
品川光福寺
光福寺の古木の大イチョウ。品川区の天然記念物です。
この光福寺には品川区保存樹の大型のボダイジュやタブノキもあるが 比べてみれば判るが山門から仰ぎ見るように樹高は40m近いのです。 明治時代まで沖合いの漁師達の航行の目標であった。
都内最大のイチョウである善福寺の逆さイチョウと兄弟といわれ、 今だ樹勢あり古木特有の乳状下垂を数多く付けており
樹齢は800年
です。
東京都品川区大井6丁目9。撮影・05.12.13.
浄土真宗光福寺。 延暦元年(782)開山の古刹であり寺伝による泉が 大井の地名になった鎌倉時代の大井の井があり今も湧き出ている。
品川寺(ほんせんじ)
品川寺の大イチョウ。品川区の天然記念物。まるで社殿を覆い包むように立ち添う大イチョウです。 境内には多くの樹木があるがこのイチョウは樹高25mありひときわ目立つ。乳状下垂もみられ
樹齢約600年
の古木です。品川区南品川3丁目5。撮影・05.12.13.
品川寺(ほんせんじ)大同年間(806〜810)開山の古刹。江戸六地蔵第一番の 銅造地蔵菩薩坐像の有形文化財がある。
品川稼穡稲荷
稼穡(かしょく)稲荷のイチョウ。品川区の天然記念物。 決してイチョウにとって良好な環境ではない品川図書館ビルの谷間の大イチョウです。 雄株で小さな祠の横で悠然として幹には多くの気根をつけている古木です。
樹齢は5〜600年
です。品川区北品川2丁目32。撮影・05.12.13.
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