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古木名木達の歴史的遺産 |
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さくらの名木達/春爛漫 お江戸のさくら並木 |
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上野恩賜公園 1200本 |
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江戸時代から愛され続けられてきた上野のお山は現代も桜の名所 |
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300mの桜並木が続く公園中通り |
公園中通りを染井吉野が覆う |
桜祭りの人出は一日に100万人 |
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上野公園の桜並木。
撮影・05.04.05。
並木全体では4分咲き。上空には飛行船が旋回し桜の下では
新入社員歓迎会の宴が彼方此方で。 |
上野公園。 日本最初の公園として明治6年(1873)に指定される。敷地約53万坪。
上野恩賜公園(上野公園)は、三代将軍徳川家光の命により天海僧正によって寛永二年(1625)
建立され子院三十六防、本坊、根本中堂、文殊楼(吉祥閣)により構成された寛永寺の境内跡である。
通称「上野の山」と呼ばれる丘陵部にあり、吉野山から桜を移植したことから始まり桜の本数は約1200本。
その内ソメイヨシノが約50%を占めている。 |
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江戸時代から「上野の山」といえば当代きっての桜の名所。
最初は寛永寺社殿と霊廟、東照宮、そして境内の桜を中心にした小さな上野の山だけだった。
右の二箇所には花見客は足を運ばないが今もお江戸の桜の雰囲気をひっそりと醸し出している。
撮影・08.03.27. |
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静寂の旧因州池田屋敷表門 |
寛永寺の五重の塔と桜 |
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不忍池 中堤 |
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不忍池。上野恩賜公園に広がる、原始時代の海の名残といわれる周囲1.7kmの池。
中堤の桜並木は上野公園とは違い花見客もまばらな隠れた穴場です。
撮影・08.03.27. |
喧騒から離れて桜愛でる絶好の桜並木 |
湖面にすれんばかりに枝が揺れ |
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飛鳥山公園 650本 |
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飛鳥山中央遊歩道を散策花見客 |
花より団子を呼び込む御茶屋 |
静かに佇む櫓時計を包む桜たち |
飛鳥山。八代将軍徳川吉宗が享保5年(1720)に1270本の桜を植栽して、
大岡越前の時代、江戸庶民のためにこの地を花見の地にしたのが始まりといわれる公園で、
江戸から現在に至るまで桜の名所となっています。
当時、上野などでは禁止されていた酒宴や仮装がここでは許されたため、江戸っ子達に大人気だった。
撮影・08.03.27. 東京都北区王子1-1。 |
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目黒川のさくら並木 830本 |
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目黒川のさくら並木 |
小枝がゆったり揺れるさくら並木 |
一番南の亀の甲橋より望む |
目黒川は世田谷区から目黒区品川区を通って東京湾に注ぐ延長8キロの川。
池尻大橋から目黒新橋を過ぎて亀の甲橋まで約3.8キロの川沿いに約830本のソメイヨシノが植えられています。
目黒川に最初に桜が植樹されたのは昭和2年(1927)ですが、護岸工事などで何度か植え替えられており、
古木ではありますが、幹の太さからはこの桜は樹齢40年前後でしょう。
撮影は亀の甲橋より太鼓橋方面を望む。撮影・07.04.05.
初代は昭和16年、二代は昭和36年、三代目は樹齢15年を昭和62年に植えたと伝える。 |
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目黒川を豊かな環境にする会の桜生育調査船 |
太鼓橋からアーチ式の美しい目黒新橋 |
目黒新橋:目黒川にかかる橋で江戸時代初期の延宝年間には現在地に架けられていて、
古い起源を持つ橋で都の著名橋にも指定されていてアーチ型のシルエットが美しい。
太鼓橋:行人坂を下りきったところで目黒川に掛かる橋。
現在の橋はコンクリート製のものだが江戸時代にはアーチ型石橋で
当時は江戸でも他に例がなく橋の名所となっていた。 |
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