歴史の 浪漫街道 さくらの名木達  石神井川の桜並木は加賀前田藩の名を地名や施設や橋の名に色濃く残す
名木古木達の歴史的遺産


さくらの名木達 / お江戸の桜並木


    石神井川の桜並木

  金沢橋から加賀橋
川幅を覆い尽くす満開の桜小枝。'10.04.01. 満開の桜が小橋を覆う。'10.04.01.
満開の桜が風にそよぐ加賀公園前の金沢橋から加賀緑橋方面 桜が包む加賀緑橋を望む

石神井川:石神井村を流れていたので名がついた。 村の起こりは井戸を掘っていたところ石棒が出て、これを石神とあがめその井にちなんで石神井となった伝えられる。 川の延長は小平市の小金井公園から北部を東に流れ北区王子の隅田川までの25KM。

この桜並木は板橋区の東武東上線の中板橋から中山道仲宿そして三田線新板橋に至る石神井川沿いの桜並木。 特に加賀2丁目の帝京大学の御成橋から加賀ニノ橋、加賀橋、加賀緑橋、加賀公園の金沢橋の加賀1丁目までの風にそよぐ桜並木が見所です。

  加賀橋から加賀二の橋
風に揺れる満開の桜。'10.04.01. 春風に緩やかに揺れる小枝。'10.04.01. 橋上から小枝越に石神井川を望む。'10.04.01.
加賀橋から帝京大を望む 加賀二丁目の桜並木 加賀二の橋の桜並木

  金沢橋から音無くぬぎ緑地
      板橋区の埼京線鉄橋から石神井川が北区に入ると音無川・王子川・滝野川へと名称が変わる。
金沢橋から埼京線鉄橋方面。'10.04.01. 埼京線を潜った音無くぬぎ緑地。'10.04.01.
金沢橋からは埼京線鉄橋を隠す 音無くぬぎ緑地方面の桜

地名の由来: 板橋区加賀
加賀の前田家は支藩の富山藩・大聖寺藩を合わせて120万石、日本一の大大名だ。 ちなみに徳川将軍家は天領400万石、二位の島津家は77万石、三位が伊達家で62万石である。
その前田家が中山道と川越街道が合流するところに下屋敷を置いた理由は岩槻街道・中山道を上ってくる敵を抑えるための配置である。 板橋宿はそこから西北へ伸びる。屋敷は広大で現在の板橋(3・4丁目)・加賀・仲宿に及ぶ範囲で、 明治維新後は軍の火薬製造所になった。

板橋の由来:  江戸末期まで川は浅瀬を歩いて渡るか渡し舟が常識だった。板橋は旧中山道の中宿付近の石神井川に架かる橋で、 鎌倉時代には架けられて都内でも古い橋の一つです。 やがて地名となり村名となリ、板橋村→下板橋宿→板橋町→板橋区と変遷した。
 

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