歴史の 浪漫街道  艶やかでたわやかな千鳥が淵と繋がる四谷見附と牛込見附の何所までも続く桜並木
古木名木達の歴史的遺産

さくらの名木達/春爛漫 お江戸のさくら並木


    皇居千鳥が淵 300本

散りても内堀に花びら絨毯浮かせる。07.04.04.
皇居内堀の千鳥が淵に散りても花びらが乳白色の絨毯を浮かせる

皇居千鳥が淵、この艶やかさ。05.04.07 皇居内堀の千鳥が淵の桜。撮影。05.04.07.

約300本のソメイヨシノがいっせいに風に揺られて右に左へと湖面にすれんばかり、 この枝ぶりは日本一の桜でしょう。田安門から南の内堀を花見客が食い入る ように愛でている。妖艶であり艶やかである。
千鳥が淵。枝ぶり日本一か。05.04.07

早や散りはじめです。07.04.04. 水面に漂うさくらの花弁たち。07.04.04. 花弁は渦を巻き別れ惜しむようです。07.04.04.
戯れも艶やかさも命短しや 内堀に花びら絨毯浮かせる 花びら渦巻きがごとくである

今年は(撮影・07.04.04.)早くも散り始めです。 曇天のためでしょうか、色合いに華やかさが少なく、 内堀の湖面一面に桜花弁の乳白色の絨毯が漂っています。  

内堀から望む外濠の桜達。07.04.04. 私達も見てくださいと見事に生い茂るムラサキハナナ。07.04.04.   千鳥が淵代官町側から首都高越しの千鳥が淵戦没者墓苑の外堀を望む。 千鳥が淵のこの景観は「千代田区桜守」たちの外堀土手筋の桜育成環境の改良や 桜根の保護の「ムラサキハナナ」植栽運動によるところが大きいのです。 さくら守達に感謝です。撮影・07.04.04.


  top-kawaza3-.jpg(3035 byte)   四谷見附 外濠公園 330本

四谷見附堤の桜。 外濠公園の南端が四谷見附堤です。 隣接している上智大学の卒業記念に植樹された桜の名木たちもある。枝ぶりも素晴らしい。 まるで桜のトンネルのようだ。堤の下は大正浪漫漂わす四谷見附橋が架かっています。 撮影・05.04.07。   四谷見附の桜。05.04.07. 堤沿いの桜。真下にJR中央線、総武線。05.04.07.

  top-kawaza3-.jpg(3035 byte)   牛込見附 外濠公園 330本

堀の水面にすれんばかりに枝が揺れる。08.03.27. 夕刻なのにオープンカフェには女性陣の長い行列です。08.03.27.
お堀の水面すれすれの桜の小枝にボートが ボート乗り場に隣接のオープンカフェにも花見客

牛込見附(御門)の桜並木。 外濠公園の北端にあたり現JR飯田橋駅の牛込橋から花霞の桜堤を観る。 お堀の水面すれすれに、車道の上にまで、その太い枝をいっぱいに伸ばし花を降らせるさまは、まさに圧巻です。 この堀のボート乗り場は日本で始めての大正7年(1918)開業なのです。撮影・08.03.27。  

外濠公園。外堀沿いのJR飯田橋駅から市ヶ谷駅、四ツ谷駅まで続く約3キロの外濠公園には330本の桜がある。 昭和2年(1927)に開園されたこの公園、といっても細長い土手の上の部分の遊歩道です。 四谷見附周辺が最も桜の古木が多く見応えがある。
四谷見附の橋は寛永16年(1639)に造られ、 牛込見附の最初の橋は寛永13年(1636)阿波徳島藩主の蜂須賀忠英が造る。

  top-kawaza3-.jpg(3035 byte)   日本橋さくら通り 169本




日本橋さくら通り。一方通行二車線1KM足らずの桜並木ですが歴史があるのです。
中央通りの丸善脇の石碑には昭和11年(1936)さくらを植樹するも昭和20年の戦災で焼失、 昭和31年再度さくらの植樹を行い「さくら通り」と命名したと刻まれている。
「さくら通り」とは東京駅八重洲北口から茅場町まで延びるビジネス街のさくら並木。
中央区内のさくらの名所の中では最多の169本のさくらが咲き乱れる並木道です。
 


  top-kawaza3-.jpg(3035 byte)   青山霊園 400本

都立青山霊園。撮影。05.04.07.

園内中央を走る約1.7キロの桜並木は桜の名所でソメイヨシノが約400本連なる。
明治5年(1872)につくられ、明治以降の著名人の 墓が多数あることでも有名な墓地である。 霊園は台地の上にあり、眺望も良く六本木ヒルズが見える。
  静かな青山霊園。05.04.07. 霊園からの遠望。まるで別世界。05.04.07.

昭和10年(1935)に現在の形の散歩気分で墓参りのできる「公園墓地」となる。 青山霊園は約8万坪、12万人が埋葬されている。 地名は徳川家康・秀忠につかえた郡上藩青山忠成の屋敷だったことに由来する。  

  top-kawaza3-.jpg(3035 byte)   染井霊園 100本

染井霊園の若木。05.04.07. 染井霊園には誰もいない静けさ。05.04.07. ソメイヨシノ発祥の地。東京駒込の染井霊園。

染井吉野は江戸末期から明治初期に旧染井村の植木職人が 山桜を改良してつくった品種で、 しずかな霊園内にこの櫻達100本は悠然と咲き誇っている。 撮影。05.04.07.


都立染井霊園。明治7年開設で敷地約2万坪。


「ソメイヨシノ」  幕末の江戸染井村(現在の東京都豊島区駒込一帯)の植木屋伊藤政武が オオシマザクラ(白い大輪の花)とエドヒガン(葉よりも先に密生した花をつける)の性質を 交配によってつくり出し「吉野桜」の名で売り出した。本来の吉野山の桜(ヤマザクラ)と 区別するために染井吉野の名が付けられた。ソメイヨシノは自分の花粉では受粉できない 「自家不和合性」であり、接ぎ木で殖やされ成長が速く華やかな咲きっぷりで全国に広まった。  


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