歴史の浪漫街道  近代化の幕開けの郵便ポスト。甍の蔵店舗やルネッサンスの建築とベレー帽達は今だ現役。
文明開化の歴史的遺産 



赤いベレー帽の浪漫街道 V



川越城は、長禄元年(1457)に上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子が築く。
江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が17万石の城主となり、 享保5年(1720)に幕府の奨励で、江戸の町に耐火建築として蔵造り商家が立ち並ぶようになりました。 江戸との取り引きで活気のあった川越の商家もこれにならい、蔵造りが建つようになりました。
明治26年(1893)、川越大火が起こり、川越町 (当時)の3割強を消失しました。 現在の蔵造りの多くは、これを契機に建てられたもので、 一番街を中心にそれぞれ個性のある蔵造りが建っています。
 

蔵の町並みに対峙するベレー帽のポスト。08.01.10. 小江戸川越の蔵街道のポスト。08.01.10.   小江戸川越の蔵街道に佇むベレー帽の郵便ポストは埼玉りそな銀行川越支店前。 川越市幸町4−2。

埼玉りそな銀行川越支店。(旧八十五銀行本店本館) 明治11年(1878)に川越に設立された第八十五国立銀行で、 明治31年(1898))に普通銀行となり、八十五銀行と改称。 昭和18年(1943))に埼玉県内の(武州銀行、忍商業銀行、飯能銀行)と合併して埼玉銀行となり、 平成3年(1991)に協和銀行と合併して協和埼玉銀行となり、現行に商号変更する。
大正7年(1918)建築。設計は保岡勝也、施工印藤順造。 鉄骨鉄筋コンクリート造3階建て、塔屋・金庫室付。 ネオルネサンス様式、古典様式などを折衷した洋風建築です。 埼玉県内登録文化財第一号です。
  旧八十五銀行本店本館。08.01.10.
旧八十五銀行本店本館


松江町の百足屋に佇むポスト。08.01.10. 格子戸が見事な百足屋。08.01.10.   百足屋(田口家)明治29年の建築。旧 糸・組紐問屋。 江戸時代の初めより糸・組紐問屋を営む。 格子戸に味があり、観音開戸は銅版貼りで、ベレー帽の赤いポストが良く似合う。
川越市松江町二丁目。



武州銀行川越支店として設計を前田健二郎(高島屋日本橋店を設計)、施工は清水組で昭和3年(1928)に建築。 ギリシャルネッサンス様式の建物脇にベレー帽の赤いポストが立つ。 同支店は昭和45年より川越商工会議所として使用されている。国登録有形文化財です。  埼玉県川越市仲町1-12。大正浪漫夢通り。

栃木の例幣使街道の岡田嘉右衛門記念館のベレー帽のポスト。
岡田家は550年以上の歴史を持つ当主は26代続く旧家で、初代嘉右衛門は元武家であったが帰農して、 慶長のころ荒廃したこの地を開墾して嘉右衛門新田と称した。以降ここの地名が嘉右衛門町となる。 その後、名主役本陣や畠山氏の陣屋そして代官職おも務める。    栃木市嘉右衛門町1-12。
  例幣使街道の岡田屋ポスト。08.03.18.
例幣使街道の岡田嘉右衛門記念館

例幣使と日光例幣使街道。
元和三年(1617)徳川家康が日光山に改葬されると、日光東照宮に朝廷の勅使が毎年参向するようになり、 その勅使を例幣使ということから、宿場を通る90キロの道を日光例幣使街道と称した。
正保3年(1646)4月に奉幣し、翌4年に奉幣使が下向して宣命を読んだのがそのはじまりとされています。 以降慶応3年(1867)までの221年間、一回の中止もなく継続されました。
4月1日に京都を出発、中山道を経由して東に下りました。上野国倉賀野宿から日光方面に分岐し、 玉村、芝(柴)、木崎、佐野天明、栃木など13宿を経由するいわゆる例幣使街道を通って4月15日までに日光に到着しました。 東照宮の大祭の前日である4月16日に持参した金の幣束を奉納し、その日のうちに下山、 復路は江戸を経由して東海道を通って帰京しました。
 

川越元町郵便局。08.01.10. 川越元町郵便局黒塗柱箱。08.01.10.   川越元町郵便局。小江戸川越のメインストリートにある郵便局です。 局は蔵を改造したもので、郵便ポストも復刻版の黒塗柱箱です。 局前のポストは丸ポストだったそうですが、周りの建物と景観を合わせようと、蔵作り風の局舎に改装し、 それを期にポストも明治年間の黒ポストレプリカに変更してしまったそうです。  埼玉県川越市元町2-2-3 。
川越元町郵便局 郵便ポスト復刻版の黒塗柱箱


yahoo!japan 登録サイトのHPです。


  「ベレー帽の浪漫街道 W」 「ベレー帽の郵便ポスト」トップにリンク。