例幣使と日光例幣使街道。
元和三年(1617)徳川家康が日光山に改葬されると、日光東照宮に朝廷の勅使が毎年参向するようになり、
その勅使を例幣使ということから、宿場を通る90キロの道を日光例幣使街道と称した。
正保3年(1646)4月に奉幣し、翌4年に奉幣使が下向して宣命を読んだのがそのはじまりとされています。
以降慶応3年(1867)までの221年間、一回の中止もなく継続されました。
4月1日に京都を出発、中山道を経由して東に下りました。上野国倉賀野宿から日光方面に分岐し、
玉村、芝(柴)、木崎、佐野天明、栃木など13宿を経由するいわゆる例幣使街道を通って4月15日までに日光に到着しました。
東照宮の大祭の前日である4月16日に持参した金の幣束を奉納し、その日のうちに下山、
復路は江戸を経由して東海道を通って帰京しました。 |
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