歴史の 浪漫街道 さくらの名木達  八王子鑓水永泉寺の屹立の一本桜は周囲の常緑樹を掻き分けて天空へ
名木古木達の歴史的遺産


さくらの名木達 / 屹立の一本桜


    八王子鑓水永泉寺の一本桜

本堂前から望む一本桜。'10.04.08. 枝を張った高い上部のみ花咲かす。'10.04.08. 境内崖上から望む一本桜。'10.04.08.
釣鐘堂脇に立つ一本桜 上部のみ枝を広げて花を咲かせる 隣接は老人ホーム

鑓水永泉寺の古木一本桜。
周辺の常緑樹木が太陽を遮っているのか、桜は樹勢に任せてあるのか、天高くへと桜としては高木です。 この一本桜は他より早く三月下旬には咲きます。
    東京都八王子市鑓水80。   撮影 '10.04.08.
 

永泉寺。 創建は弘治元年(1555)。 江戸時代幕府から寺領10石を受けた曹洞宗のお寺で、 明治18年(1885)火災で全焼したため、本堂は鑓水絹商人の八木下要右衛門邸の母屋の寄進をえて移築したもの。 境内墓所には鑓水の生糸商人の墓が多くある。  

永泉寺の均整取れた美形。08.11.21.   永泉寺の美形の銀杏は雌株。幹周り2Mです。 大木でも古木でもありませんが、緑豊かな里山のなか、ただ一本黄葉して自己主張です。
黄葉したイチョウの左側には、落葉した高木の一本桜がある。 境内の左奥に佇む桜も、この写真では低く見える。
里山に一際目立つ黄葉のイチョウ

鑓水商人と絹の道

安政6年(1859)横浜開港に伴い、 多摩の一寒村にすぎなかった鑓水の農民達いわゆる鑓水商人は、 仕入れた国内特産品の生糸を、 馬や荷車あるいは自らの肩にかついで八王子八日町から多摩丘陵を越えて横浜で売り渡し、 帰路は珍しい西洋の文物を持ち帰り、明治の文明開化の伝播に大きな役割を果たした。 生糸は八王子産はもちろん信州や甲州、 上州の糸も八王子へ集積されこの道(絹の道)を経由して横浜へ運ばれた。 この交易により鑓水には巨万の富を築いた豪商が誕生した。 しかしながら絹の道の繁栄は長くは続かず、明治政府による製糸工場や鉄道網、道路網の整備により、 わずか50年でその役割は急速に失われ、やがて歴史の彼方へ消え去った。 それとともに栄華を極めた鑓水商人達も相次いで没落した。
 

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