歴史の 浪漫街道  さくらの名木達 河津桜の次に開花する由木緑道の寒緋桜は鮮やか深紅の40本並木です
名木古木達の歴史的遺産


さくらの名木達 / 都下の桜並木


    由木緑道の寒緋桜並木

由木緑道の寒緋桜。'10.03.19. 由木緑道の寒緋桜並木
寒緋桜は各種の桜にさきがけて開花し、花は小輪一重咲きでかつ鮮やかな濃いピンク色の鐘形の花なのでとても目立つ。 中国から台湾に自生している桜で台湾緋桜、緋寒桜、とも呼ばれるが、緋寒桜(ヒカンサクラ)では、 別に「彼岸桜」(ヒガンサクラ)という花と間違えやすいので混同を避けるために、ひっくり返して「寒緋桜」との呼び方になった。
大田川沿いの1.1km。八王子市堀之内3丁目。
大栗川公園から大栗川沿いの1.6KMの由木緑道は染井吉野の並木。
由木緑道の寒緋桜

モニュメント建つ入口。'10.03.15. 寒緋桜がほぼ満開。'10.03.16. 緑道は寒緋桜一色。'10.03.19.
モニュメントある由木緑道の入口 おかんどう橋から緑道を望む 板橋から西側を望む

由木緑道は南大沢八幡神社脇から流れ出た大田川の西のおかんどう橋から板橋、川端橋、そして東の大栗川と合流する峯ヶ谷戸橋まで。 その内のおかんどう橋から板橋、川端橋の緑道にはさくら並木としては珍しい寒緋桜(カンヒ)の40本の並木です。  

平成7年設置の由木緑道の碑。'10.03.19. 鎌倉へと繋がる古道の証です。'10.03.19. 緑道は峯ヶ谷戸まで続く。'10.03.19.
由木緑道の石塔 緑道脇に立つ道祖神と地蔵尊 川端橋から先の峯ヶ谷戸橋を望む

おかんどう橋 多摩ニュータウン通り松木中下交差点の大田川に昭和52年に架けられた橋ですが、 ??おかんどう?お燗をする堂?(昔の居酒屋?) 脇に道祖神や地蔵尊があり鎌倉街道の間道も多くあったので往来人に燗を売ったのか。 ?お間道?(間道とは抜け道、わき道) 鎌倉街道のわき道で特に小さな間道を指しての呼称か。意味不明なのです。  

由木は、松木の北側にあり、鎌倉時代からの由木氏の館城で、永林寺(八王子市下柚木4)は由木城跡と伝えられている。 由木氏は武蔵武士団(平安時代後期から鎌倉時代・室町時代にかけて、武蔵国を中心として下野、上野、相模といった近隣諸国にまで勢力を伸ばしていた同族的武士団の総称) の一つに属していた鎌倉時代の当地方の領主から由木の地名となる。

松木は八王子市の南東部の南大沢の大栗川と大田川が流れる南側の地区である。
足利持氏(第四代鎌倉公方=、室町時代に室町幕府の征夷大将軍が関東十ヶ国における出先機関として設置した鎌倉府の長官、 関東公方ともいう) 公方足利満兼の子(応永5年(1398)〜永享11年(1439))の家臣である松木七郎が居館を置いたことから、 松木(まつぎ)の地名となる。
 

まだまだ幼木の寒緋桜並木。'10.03.19.
桜守が見守る10年後20年後が楽しみの深紅の寒緋桜が40本も連なる桜並木

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