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			この地の「みょうが」は、実は「冥加」で、「冥加稲荷」から来ている。
			昔この付近(小石川4〜5丁目の春日通りの辺り)に御箪笥町があり、鉄砲方の旗本・御家人が集住し、
			仕事は鉄砲を撃って命中させることだった。	
			しかし太平の世では実力の発揮も出来ず、それで技術向上のためと、実力維持のために競技会が開かれ、	
			谷上(今の駅付近)にあった稲荷社に願掛けして出発していった。	
			なかなか霊験あらたかだったところから評判を呼び、いつしか稲荷を「冥加稲荷」と呼んだ。
			その冥加稲荷がある谷なので「冥加谷」と俗称されたが、徳川色を嫌う明治政府によって、
			韻の同じの「茗荷」に書き換えられた。茗荷が採れたわけではないのです。 | 
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