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名木古木達の歴史的遺産
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さくらの名木達 / お江戸の桜並木 |
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神田川の桜並木 |
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神田川面影橋から三島橋方面 |
神田川面影橋から |
三島橋方面を望む |
神田川の「面影橋」は、郷愁をそそられる「都電荒川線」の駅名としても現役だし、江戸城主・
太田道灌の「山吹」伝説の地ということもあって、
神田川流域でも知名度が最も高い橋のひとつです。
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三島橋付近は太古からの岩の川床が顔を出す |
せせらぎ聞こえる早稲田駒塚橋の神田川 |
都電荒川線のに沿うように、明治通りの高戸橋から新江戸川公園の駒塚橋までの830Mの神田川桜並木は、
豊島区制施行50周年記念として昭和57年(1982)に設けられた。
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江戸川公園周辺は、
度重なる洪水のため護岸工事が行われ昭和58年(1983)に改めて桜の木が植えられた並木 |
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右側の江戸川公園と大滝橋 |
首都高早稲田出口側道と一休橋 |
神田川は東京都三鷹市井の頭恩賜公園内にある井の頭池に源を発し東へ流れ、
台東区、中央区と墨田区の境界にある両国橋脇で隅田川に合流する。流路延長24.6kmの河川。 |
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駒塚橋と大滝橋の神田川沿いの椿山荘の周辺(東京都西北部目白台)は、
南北朝のころから椿が自生する景勝の地で「つばきやま」と呼ばれていました。
現在の椿山荘の敷地は、安政4年(1857)の切絵図では、
上総久留里藩黒田豊前守の下屋敷と表記されている。
椿山荘は昭和20年の空爆で大半焼失するも、幸い丘の木立に囲まれた室町時代末期 (広島竹林寺より大正14年に移築)
の作と推定される三重塔は焼失を免れた。
都内に現存する古塔は旧寛永寺と池上本門寺の五重塔、そしてこの椿山荘の三重塔のみなのです。 |
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山縣有朋が明治11年(1878)に私財を投じて「つばきやま」を購入し「椿山荘」と命名する。
大正7年には、当時関西財界で主導的地位を占めていた藤田組の二代目当主「藤田平太郎男爵」が、
名園をありのまま残したいと言う山縣有朋の意志を受け継ぎ継承する。
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