歴史の 浪漫街道 さくらの名木達  相模原桜並木・聖蹟桜ヶ丘いろは坂・立川根川緑道・残堀川堤・八王子浅川
名木古木達の歴史的遺産


さくらの名木達 / 東京都下のさくら並木U


    相模原市役所桜通り

桜の枝が重なり覆い被さる並木通り。08.04.04.
重なり合う満開の桜枝で桜色に染まる相模原市役所さくら通り

米陸軍の西門から続く桜並木。08.04.04. 市役所と市民会館前の桜並木。08.04.04. 車道は重なり合う枝で桜色に染まる。08.04.04.
米軍補給所西門まで続く桜並木 市民会館前の桜並木 満開の枝が重なりあう並木通り

相模原市役所さくら通り。米陸軍相模原補給西門前から横山二丁目交差点までの東西に延びる約1.5キロの桜の大木が延々と並ぶ桜並木。
さくら祭りは国道16号の相模原警察署から横山二丁目までの市役所さくら通りで、 昭和49年(1974年)に市制施行20周年を記念して相模原のふるさとづくりをテーマに始められたました。 相模原市中央2丁目周辺。
 

  top-kawaza3-.jpg(1150 byte)   聖蹟桜ヶ丘いろは坂

何故か郷愁を覚えるつづら折の聖蹟いろは坂。08.04.04. まるで深山幽谷の様である。08.04.04. 騒がしき花見遊山する者もいない。08.04.04.
郷愁のつづら折の聖蹟いろは坂 春風にゆったりと揺れる満開の桜 静寂のなかにただただ桜のみ

京王線聖蹟桜ヶ丘駅前の商店街を通り抜けて大栗川の霞ヶ関橋を渡って高台へ登っていく、 その名も「いろは坂通」 大木の桜の坂ですが花見遊山する者を見かけない。 坂を上った頂上付近には、「天守台(関戸城跡)」と書かれた小さな標柱が立っている。 鎌倉時代の砦の跡とされている。多摩市桜ヶ丘4丁目。  

  top-kawaza3-.jpg(1150 byte)   立川根川緑道

根川緑道は四季を通じて市民の憩いの場。08.04.04. 清き湧水が流れる両脇を桜並木が包む。08.04.04. 満喫する散策するハイカーやカメラマン。08.04.04.
柴崎橋から望む体育館前桜並木 根川緑道上流を覆う桜のトンネル 満開下のハイカーやカメラ愛好家

根川緑道。 残掘川湧水口から立川陸上競技場の貝殻坂橋のところまでの 1.3KMの桜並木です。 根川緑道は、平成4年度から平成8年度にかけて整備がすすめられ高度処理水を活用した日に2700トンの 湧水がせせらぎとなって流れている。立川市柴崎町6丁目。  

  top-kawaza3-.jpg(1150 byte)   立川残堀川

春霞の中を何処までも続く桜並木。08.04.04. 両堤の桜並木と川底の菜の花まさに春爛漫。08.04.04.   残堀川堤のさくら並木。 残堀川は瑞穂町の箱根ヶ崎の溜池から流れだし立川で多摩川に合流する。 堤沿いの桜は多摩川へと約1キロにわたって桜並木のトンネルが続きます。
立川市柴崎町4。撮影・08.04.04.
残堀川を普済寺脇から望む 桜と菜の花をJR中央線が横切る

残堀川は元々狭山丘陵の小河川の水を集めて南東に流れ、矢川に注いでいた。 砂川で新田開発が進められたのはこの残堀川の流れがあったためといわれているが、 昔から大雨の度に氾濫する「暴れ川」で、洪水の度に大量の土砂を流域に堆積させて人々を困らせて、 土地の人達から「砂の川=砂川」と呼ばれ、砂川の地名の由来となった。
昭和57年(1982)氾濫対策として流域整備がなされたが以降、表層(ローム層) を流れていた河道を掘り下げたため、礫層に伏流しやすくなり、 夏期になると頻繁に水流の見られない「瀬切れ」をおこすようになってしまった。 川は生きている!のです。
 

  top-kawaza3-.jpg(1150 byte)   八王子南浅川堤

多摩御陵へのアーチ式南浅川橋と堤の桜。08.04.04. 小春日和の堤に写生や撮影そして散策する人。08.04.04. 伸びやかに枝を張る堤の桜が春風に揺れ動く。08.04.04.
南浅川橋と浅川堤の桜 長閑な小春日和のなか小鳥の囀りが ゆったりと枝を伸ばす堤の桜

南浅川橋からの南浅川堤の桜並木。 桜並木は高尾の陵南大橋〜南浅川橋〜横山橋 〜東横山橋〜水無瀬橋〜北浅川と合流する横川橋まで続きます。
桜並木に併走しているサイクルロードは浅川ゆったりロードとして整備されている。 南浅川橋を渡れば綾南公園がありその奥には多摩御陵があります。
八王子市東浅川町。撮影・08.04.04.
 

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