歴史の 浪漫街道  蔵のある町並み 蔵街道。 明治大正の商都の歴史を今に伝える商人達の気概の小樽浪漫。
町家建築の歴史的遺産


蔵のある町並み ・ 蔵街道


    北の商都 小樽明治浪漫

小樽運河倉庫群。'10.06.17.
小樽運河に渋沢倉庫・小樽倉庫・大同倉庫(旧篠田倉庫)北日本倉庫が連なり大正浪漫が漂う

小樽は北海道の港湾都市、商業都市として古い伝統を持つ町。まさに明治大正の小樽浪漫です。
江戸時代には松前藩の「オタルナイ場所」(知行地)がおかれて開かれ、 明治2年(1869)に札幌に開拓府が置かれると、小樽に改名され、 北海道最初の鉄道の手宮線が明治13年(1880)に小樽〜札幌を結び、 以降ニシン漁の拠点としてまた幌内炭鉱の石炭積出港から、樺太、朝鮮半島、 ロシア沿岸州とも結ぶ日本海沿岸随一の商港として発展した。
明治39年(1906)には日本銀行小樽支店が開設、 大正11年(1922)には札幌、函館と同時に市制施行。大正12年(1923)には小樽運河が完成して、 入港船は神戸、横浜、下関、門司に次ぎ、 船会社や銀行が小樽に集積し銀行支店数は19を数え、北の商都、北のウオール街とも称された。
 

  アイヌの建物の守り神シマフクロウ。   旧金子元三郎商店。明治20年(1887) 木骨石造。

消火栓は中間地では黄色、高地は青色。'10.06.17. 出世印の両袖のうだち。'10.06.17.   旧金子元三郎商店。 堺町1-22。
両袖にうだつ(防火でなく出世のうだち)を建て、赤瓦屋根と2階正面の窓には漆喰塗りの開き窓が収まり、 創建時の形態をよくとどめており、小樽の典型的な明治期商店の遺構といえます。
小樽独特の消火栓の赤は低地用 出世印の両袖のうだちをあげた

金子元三郎商店は、明治・大正期に海陸物産、肥料販売および海運業を営んでいた。 店主元三郎は明治32年(1899)に初代小樽区長に就任し、その後衆議院議員に数回選出されるなど、 小樽を代表する政財界人でした。 この店舗は明治の論客中江兆民を主筆に迎えて小樽最初の日刊新聞「北門新報」が、 明治24年に印刷発刊された記念すべき場です。  

  アイヌの建物の守り神シマフクロウ。   旧大家倉庫。明治24年(1891) 木骨石造。

石川県出身の海産商大家(おおいえ)七平が建てた。建物の妻壁にはヤマ七の印がある。 外壁に札幌軟石を使用し、越屋根と入口部分の二重アーチが特徴です。
雄大さ独特の姿は運河地区の石造倉庫を代表する。 平成14年(2002)に外壁や屋根瓦部分等を修復。
  悠然と構えた旧大家倉庫。'10.06.17. 嵌め込んだ修復石材痕跡残る。'10.06.17.
悠然と構えてた石造倉庫 修復の札幌軟石は今だ無垢

  アイヌの建物の守り神シマフクロウ。   旧第百十三国立銀行。 明治26年(1896) 木骨石造。

平屋石造りの銀行店舗。'10.06.17.   旧第百十三国立銀行(明治12年に函館で開業・北海道に本店を置いた初の銀行)は、石造平屋造り。 銀行とは思えぬ構えの小さな石造り平屋建ての建物です。 屋根の勾配の上にとんがった飾りが2つ、 軒下には銀行マークの分銅模様のレリーフが刻まれていて鉄格子の窓などが特徴的となっています。 明治26年の小樽進出時に建てられた。
昭和3年(1928)に北海道銀行(後の拓銀)に合併される。
堺町本通りに面した堺町1-19。

  アイヌの建物の守り神シマフクロウ。   岩永時計店。明治29年(1896) 木骨石造。

この建物は、時計卸商、初代岩永新太郎の店舗として建てられ、店員で構成された楽団を持つ ハイカラな商店でした。
平成3年(1991)の改修により正面2階のバルコニー、半円アーチ扉や窓の扉は防火用を兼ね、 手摺などが修復され、ほぼ創建時の姿になりました。 屋根の装飾、軒のくり型など細部にもデザインが施され、 瓦葺き屋根を飾る一対の鯱は商店では珍しい装飾であり、 当時の小樽商人の意気込みが感じられます。道内で最も古い時計店です。
店内の大時計が創業時からの時を刻み続けている。 堺町1-21。
  鯱が乗った和洋折衷の店舗。'10.06.17.
喫茶「砂時計」を併設

  アイヌの建物の守り神シマフクロウ。   旧早川商店小樽支店。(川又商店)明治38年(1905) 木骨石造。

防災対策の店舗。'10.06.17. 袖壁に繊細な彫刻を施す。'10.06.17.   新潟出身の川又健一郎が茶、紙、文房具を商う早川商店から暖簾分けを受け、 明治37年の稲穂町大火で全焼したため再建された。 厚い土塗りの防火戸や袖壁など、防火に対する配慮がうかがわれる。 その袖壁には朝日や鶴と亀などの彫刻が施され、繊細な和風意匠でまとめている。
観音扉や袖壁の防火対策 袖壁に朝日や鶴と亀などの彫刻

  アイヌの建物の守り神シマフクロウ。   旧梅屋商店(小樽硝子屋本店) 明治39年(1906) 木骨石造。

明治39年に建てられた木骨石造り2階建ての小樽硝子屋本店の「和蔵」は昔は梅屋商店洋物の卸問屋で、 呉服を扱う隣の塚本商事とは対抗関係にあったとか。 現在は残念ながら袖壁のうだつと漆喰塗りの開き窓は取り除かれている。 石造り店舗は明治37年の稲穂町大火の教訓から備えられたもの。

小樽には歴史を背負ってきた建物あるが、歴史的建造物に指定されなかった数多くの建造物がある。  色内1丁目6-26。
  栄枯盛衰感じる建造物。'10.06.17.
建設当時の維持管理は難しい

  アイヌの建物の守り神シマフクロウ。   旧名取高三郎商店。明治39年(1906) 木骨石造。

角地に建つ名取高三郎商店。'10.06.17. width= 隣接する境に建つ袖壁。'10.06.17. 山梨県出身の鋼鉄金物商名取高三郎が明治37年(1904)の稲穂町大火後に建てた店舗。 角地に建ち西側と南側に開いた形で防火のための 袖壁(うだつ)を設けています。外壁には札幌軟石が使用されており、 小樽の明治後期の代表的商家建築といえます。色内1-1-8。
防災対策の二階観音扉と袖壁 角地特有の袖壁が付く

  アイヌの建物の守り神シマフクロウ。   旧北海雑穀株式会社。明治40年(1907)。 木骨石造。

防災の鉄扉が印象的。'10.06.17.   旧北海雑穀株式会社は木骨石造二階建て。 北海雑穀株式会社は明治末期に資本金20万円を以って設立して諸雑穀委託販売を商いとしてはじめました。
建物規模は正面五間、奥行四間で屋根は瓦、外壁は軟石、窓に飾り鉄扉、両袖にうだつを立ています。 内装は和洋折衷の造りで明治の風格と趣が残る建造物です。 2002〜2003年、復元と内装工事が施されている。堺町1-18。

  木骨石造  木骨石造は骨組みを木で組み上げ外側を石で積んだもの。

改修工事で耐震補強の鉄パイプが。'10.06.17. 内側は格子状の小柱。'10.06.17. 換気口から見れば外壁石材は薄い。'10.06.17.
角材で骨組み・現代に耐震補強 換気口周辺の壁面の木骨 薄くした石材を外壁に貼りつけ

木骨造(もっこつぞう)は、建築の構造の一つで、木造軸組構法と組積造を折衷した構造である。
木材による柱・梁によりラーメン (骨組)を作り、骨組に厚さ15CM前後の石材や煉瓦を木骨にカスガイで止めて、 壁体を作ることにより耐力壁とし、軸組と壁の両方で荷重を支える。 不動産登記事務取扱準則はこれに該当する建物構造として「木骨石造」「木骨れんが造」「木骨ラーメン造」と表記。 明治期には再三の大火で、防火対策から西洋建築を模倣した小樽軟石での建築物が建てられた。
現在は歴史的建築物として保存されるのみで、木骨造が新築されることは皆無である。
 


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