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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! 祭り神輿 |
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矢先稲荷神社 陰祭り 平成22年6月(本祭りと隔年) |
祭神: 倉稲魂命 台座:三尺五寸(106) 建造年度:昭和6年 製作者: 行徳・浅子周慶
特記: 唐破風軒屋根・勾欄造り 新堀通りでの宮入の鳶頭による木遣り先導は壮観 |
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矢先稲荷神社の宮神輿は鳶職新門のお膝元ゆえなのか陰祭りも渡御をする |
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矢先稲荷神社大祭 陰祭り '10.06.13. 宮出し12時〜18時 本祭りは9時宮出
台東区松が谷2-14 |
かわら版 |
祭り幟ない矢先稲荷神社社殿 |
陰でも正装お神酒所 |
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創建は寛永19年(1642)。時の三代将軍徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願及び武道の練成のために、
江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立して、弓の射技練成のために「通し矢」が行われた。
通し矢は先人に勝てば堂に掲額できるとあって武士としての名誉となり、大いに流行したようです。
この通し矢は江戸市民にも観覧が許され、評判を博しました。
京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、
その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけられた。 |
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陰祭りも厳粛に発輿式 |
毎年睦による宮出し |
慣れたもの壁際一杯に押し出す |
矢先稲荷神社の例祭は旧町名松葉町の祭礼で、 旧松葉町は八区に区切られ、松一、松二、三新会、五葉会、六新会、七冨久会、八笑会からなり、 今の松が谷一丁目から四丁目でお祀りをしている1町1社のお祭りです。
厨房器具の商店が建ち並ぶ合羽橋道具街や町内の隅々を本社神輿が渡御する。
一つの町会で祭りを行っている為、本社神輿しか必要なく町内神輿が無い。 |
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鳥居前路地から道具街通りに躍り出る |
合羽橋交差点から女性が華棒で路地中へ |
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鳶職現在四代目で新門辰五郎の流れを汲む叶V門は矢先稲荷神社の鳥居斜めに 後継者が住み店を構える。
鳶職とともに「江戸木遣り友声会」を結成している。
新門が仕切る祭りということで、いろんな同好会から、本当に神輿の好きな担ぎ手が集まります。
黒塗りの屋根に輝く金箔の神紋、ゆれる大鳥や珱珞や風鐸鉢の音に交じり、
「セイヤ!セイヤ!」と息があった掛け声で担がれる。 |
新門細長提灯の飾付け |
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曹源寺、通称かっぱ寺(台東区松が谷3-7)に墓所がある合羽屋喜八(俗称:合羽川太郎)は、
文化年間この辺りの水はけが悪く少しの雨ですぐ洪水になってしまうのを見かね、私財を投げ出して掘割工事を始めた。
なかなか捗らない工事の様子を見ていた隅田川の河童達は、川太郎の善行に感動して夜な夜な工事を手伝ったそうです。
なぜか河童を見た人は運が開け商売も繁盛とか。この故事に因みかっぱ川太郎像を記念像として建造。
平成15年10月建造 所在地/東京都台東区松が谷 2-25 |
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合羽橋道具街90周年記念像 |
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