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			伝承と伝統の民族文化遺産 | 	
			
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			祭りだ!神輿だ! 祭り神輿 | 
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	        第34回 狛江市民まつり 平成22年11月 (毎年) | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			本町通りからの短い区間の狛江市内六基による神輿パレードが第一小学校に入り込む | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			第34回狛江市民まつり 
			神輿パレード: '10.11.14.(日曜)10時〜10時半 
			本町通り〜一小通り〜狛江第一小学校会場 
			昭和55年(1977)から始まった市民まつりには、旧狛江村の6村が合併した時の、
			各村の鎮守として1ヶ所ずつ神社がある、この神社睦が参加する。
			
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			| 狛江市民まつり | 
			狛江野菜で作った農業祭宝船 | 
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			参加神輿巡行順 
			駒井日枝神社:   駒札 日枝神社 
			白幡菅原神社:   駒札 猪方 (横笛先導する囃子山車) 
			小足立八幡神社:  駒札 八幡神社(太鼓と囃子山車)
			掲載:小足立八幡神社 
			伊豆美神社:     駒札 和泉 (太鼓) 
			子ノ権現三島神社: 駒札 覚東 
			岩戸八幡神社:   駒札 岩戸 (太鼓と囃子山車)   
			掲載:岩戸八幡神社 | 
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			明治22年(1889)に町村制の施行で駒井村、和泉村、猪方村、岩戸村、小足立村、覚東村が合併して狛江村になる。
			昭和45年(1970)に狛江市となる。
			旧・狛江村は6村が合併してできたが、
			各村には鎮守として1ヶ所ずつ神社があり、現在もこれを受け継いでいる。秋に例大祭を行っている。 | 
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			←駒札日枝神社
  
			   駒札猪方→ | 
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			| 神輿パレードを先導する日枝神社 | 
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			囃子方2人が横笛で神輿を先導する | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			←駒札八幡神社
  
			   駒札和泉→ 
			背高神輿である | 
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			| 唐破風屋根の八幡神社 | 
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			参加神輿で一番大型の和泉 | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			←駒札覚東 
			伊豆美神社からH20年に譲り受け(昭和50年建造)
  
			   駒札岩戸→ 
			 見事な唐破風 | 
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			| 気合入れて見せ場のふるさと広場へ | 
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			唐破風屋根の岩戸の喜び担ぎ手達 | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			| 連なってふるさと広場の第一小学校を目指す | 
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			今年最後の担ぎだと八幡神社と和泉の神輿揉み | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			狛江弁財天池緑地: 
			多摩川本流を離れること約1キロメートル、
			立川段丘の上の浅い谷になっていて、
			遠く数万年昔、多摩川中流の水流が残した砂利層をくぐって地下水が湧き出て、
			狛江駅北口ロータリー一帯の旧狛江第一小学校の校庭跡(狛江弁財天池遺跡)から、
			4〜5千年前の縄文時代から、弥生時代・古墳時代へと続く古代の集落跡が発掘された。
			大昔の人々がこの水をたよりに、そのほとりで住居を定めていた証しです。  | 
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		狛江弁財天池保全地区の竹林 | 
		 
	   
	
	
	
		
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			狛江の由来: 韓国百済時代には高麗人が日本の関東地方に帰化しましたが
			古代から「高麗」(こま)を「狛」や「巨麻」の字にあてていたようですが、
			なぜこの字を当てるようになったのかは不明です。
			狛犬も元々「高麗の犬」の意味で、
			「狛江」の場合は、百済国王が高麗人を日本に帰化させた地で、
			「狛(高麗)の里」と呼ばれていたことが由来とのこと。 | 
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