|
|
伝承と伝統の民族文化遺産 |
|
|
祭りだ!神輿だ! 祭り神輿 |
|
|
|
|
根津つつじ祭り 平成24年4月 (毎年) |
|
根津小学校の満開の桜が根津祭友会神輿を桜色に染めて送り出す |
|
|
|
|
第43回 文京つつじまつり 4月7日〜5月6日 つつじ苑に約50種 の3000株が咲く
'12.04.08.(日曜) 13時〜15時 文京区根津1-28 |
つつじまつりPOP |
右の随身は水戸光圀公の楼門 |
青胴灯籠と西門と透塀全て重文 |
|
|
宝永二年五代将軍綱吉は兄綱重の子綱豊(六代将軍家宣)を養嗣子に定めると、氏神根津神社にその屋敷地を献納、
世に天下普請と言われる大造営を行なった。
翌年(1706)完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿や唐門・透塀・楼門の全てが、
お江戸八百八町名物の火災や関東大震災や東京大空襲にも耐えて欠けずに現存しており、国の重要文化財に指定されている。
粽は古くから厄難消除、無病息災を祈って門口に吊るされる風習がある。 |
|
|
|
|
根津神社の厄除け粽 |
根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、
文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。
明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。 |
|
|
|
|
白木丸太棒がズシリと重いとか |
不忍通りにでても傾き直せず |
担ぎ手の雄叫びがビル街に響く |
祭友会神輿は不忍通り根津交番裏の根津小学校前から13時神輿発進で、
担ぎ手の集合は12時。
神輿の台座は三尺一寸(94cm) 担ぎ棒は白木と丸太です。 |
|
|
不忍通りのビル街に祭友会神輿の担ぎ手の掛け声と雄叫びが響き渡る |
|
|
|
茶房はん亭の客も喜びの歓声 |
宮入参拝に権現参道に入り込む |
表参道口からイザ参拝の歓喜 |
|
表参道の楼門脇を迂回して社殿前の唐門で息合わせての差し上げで参拝のご挨拶 |
正徳四年(1714)の天下祭に建造された徳川6代将軍家宣が奉納した三基のうちの一基が鎮座です。
台座五尺三寸(160cm)総漆塗りの極彩色で古式の形に品格がある。
遷座300年祭(2006) に漆塗り修理が施され、つつじまつり期間中は毎年拝殿脇の権殿内に展示される。 |
|
|
|
|
|
風格ある古式の宮神輿 |
逆行のなかでも煌びやか |
郷台と上野山の間の峡谷を「根津谷」「藍染川渓谷」というが「根」は山や岡、崖などの付け根、「津」は船着場をいう。
駒込の染井から流れ出た谷田川(谷戸川・藍染川)が流れており、かつてはその流路を石神井川が流れていた。
さらに昔は江戸湾の入海だったというから船着場があっても不思議はない。
根津が町名として用いられたのは根津権現の境内に町屋が許されてからで、最初の町は「根津社地門前」といった。 |
|
|