歴史の浪漫街道 祭りだ!神輿だ!祭り神輿 川崎市民祭りは広い富士見通り狭い平和通りアーケード街を巡行
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿


    第35回かわさき市民祭り 平成24年11月 (毎年)

ドッコイ担ぎの翠鳳睦が銀柳街から。'12.11.04.
先頭の三尺六寸のドッコイ担ぎの翠鳳睦がせかされ銀柳街から銀座街へと市役所通りを横断しだす

川崎市役所本庁舎前。'12.11.04.   第35回かわさき市民祭り神輿パレード
'12.11.04.(日曜)12時〜14時半。7基の神輿
パレードはサンピアンかわさき(労働会館)から
     川崎市役所本庁舎前までのパレードです。

ヨコタ担ぎで左右に激しく神輿揉みを繰り返す
川崎道祖神は残念ながら喪中にて不参加でした。
川崎市役所本庁舎にてパレード終了

かわさき市民祭りは昭和53年(1978)から毎年行われ、 川崎をさらに活気あふれる故郷として、より豊かな市民文化の創造に寄与するために、 「作ろうみんなの広場」を合言葉に、市民の創意と工夫の手造りの祭りとして行われている。  

和太鼓の風吹く音が清々しい?「颯」。'12.11.04. 馬簾の川崎纏会。'12.11.04. 馬簾の緒華連。'12.11.04.
富士見通りを和太鼓が先導 これぞ馬簾の川崎纏会 うちわ太鼓で囃す緒華連の纏

神輿パレードはサンピアンかわさき(労働会館)より発進→ふるさと交流広場前→ハローブリッジ→平和通り (休憩)→ 仲見世通り→銀柳街→銀座街→砂子一丁目商和会→川崎市役所本庁舎前到着です。  

富士見通りの翠鳳睦。'12.11.04. 田島会神輿。'12.11.04.
パレード先頭の翠鳳睦神輿 神輿正面を榊で覆う田島会神輿

幸連合神輿。'12.11.04. 台町青年会神輿。'12.11.04.
唐破風屋根の幸連合神輿 低く組んだ台町青年会神輿

大師稲荷神社稲瀬会。'12.11.04. セリ担ぎの川崎柏睦。'12.11.04.
万灯神輿の大師稲荷神社稲瀬会 斜めに肩入れセリ担ぎの川崎柏睦

川崎天の邪鬼睦。'12.11.04.   パレード参加団体は馬簾廻しの川崎纏会と緒華蓮。神輿の ・翠鳳睦 ・田島会 ・川崎幸連合 ・台町青年会・  大師稲荷神社稲瀬會 ・川崎柏睦 ・川崎天の邪鬼睦の7基です。
ヨコタ担ぎの川崎道祖神は残念ながら喪中で不参加
殿勤める川崎天の邪鬼睦

川崎柏睦のセリ担ぎ。'12.11.04. 反動で押し戻される。'12.11.04.
川崎柏睦のセリ担ぎは片方がせり上がる 上がった方は反動で沈みながら押し戻す

川崎柏睦のせり担ぎは、江戸前担ぎが前へ一歩ずつ前進するのに比べ、担ぎ棒にもたれかかるように肩を入れるため、 四方からの力が不均衡となることが多く、神輿が自然と前後左右にうねる。 まるで大海原の波がゆったり揺れる様に。  

ドッコイどっこい銀柳街の翠鳳睦。'12.11.04. 雄叫び響かせる幸連合。'12.11.04.
銀柳街からドッコイ担ぎの翠鳳睦が顔を出す アーケードに雄叫び響かせる幸連合

セリ担ぎ繰り返す川崎柏睦。'12.11.04. マイクから横田おいでよ・川崎天の邪鬼睦。'12.11.04.
銀柳アーケード内でもセリ担ぎの川崎柏睦 横田担ぎの川崎天の邪鬼睦

銀柳街は古川と言う川が流れ一面葦に覆われ寂しいところでした。 昭和10年頃失業対策として川を埋め、 徐々に発展したが戦禍によりまた元の荒廃した状態に戻ってしまう。 商店街に戦後の昭和21年頃から柳の木を植樹し、銀柳街と名づけ、アーケードは昭和55年に完成しました。 名前は当時「ウィロード」。いま銀柳街は川崎のもつ戦後の公害、ギャンブル都市のイメージから、 魅力あるステンドグラスのある街へと変貌を遂げ、川崎の表玄関商店街となった。  

川崎市役所で翠鳳睦と田島会の神輿揉み。'12.11.04.
ドッコイ担ぎの翠鳳睦神輿と田島会神輿が川崎市役所前庭で最後の神輿揉みの競演

川崎市役所本庁舎は地上39.6mの時計塔が有名です。
鉄筋コンクリート造りの時計塔は昭和13年(1938)の建設時から途切れることなく時を刻み続けている。 また市役所本庁舎はオランダのヒルベルスム市庁舎を模したとされる。      参照:  川崎市本庁舎の時計塔
 

川崎柏睦のセリ担ぎと横田担ぎの稲瀬会。'12.11.04.
市役所前庭で葱擬宝珠の川崎柏睦のセリ担ぎと万灯神輿の稲瀬会のヨコタ担ぎの競演

川崎市地名の由来。 鎌倉中期の弘長3年(1263)に初めて「河崎荘」と記載され、江戸時代に「川崎」と記された。 地名の由来は、多摩川河口近くの土地で川の先(崎)による。
なお歴史は古く大治3年(1126)には川崎大師(平間寺)が建立されて、その門前町となった。 慶長16年(1611)には小泉次大夫の指揮により二ヶ領用水が完成し農業生産が活発となり栄える。 川崎宿が正式な宿場に指定されたのは東海道五十三次の中で最後となる元和9年(1623)のことである。 明治5年(1872)に新橋〜横浜開通時に川崎駅開業です。
 


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