歴史の浪漫街道 祭りだ!神輿だ!祭り神輿。佃住吉講の宮元千貫神輿が五十年ぶりに佃小橋から月島渡りへ
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿


    佃住吉講 宮元千貫神輿 月島渡り (不定期) 平成21年8月

雨の中宮元大神輿がオリャオリャ!ソイヤッソイヤッ!と月島目指し突き進む。09.08.02.
本降りのなか雨傘を掻き分けて宮元千貫神輿が五十年ぶりに佃小橋から月島渡りへと突き進む

大判のかわら版。09.08.02. 手の込んだ写真のくり抜き文字。09.08.02.   平成21年住吉神社例祭
「佃住吉講 宮元氏子地域、五十年ぶりの月島渡り」
8月2日(日曜)
 天皇陛下御即位二十 天皇皇后両陛下御結婚五十年
     千貫神輿奉祝記念の巡行です。
     10:30  清祓  11:00 発輿  17:50 着輿
東京都中央区佃1丁目  佃小橋脇宮元お神酒所
大判佃住吉講かわら版 宮元かわら版

佃住吉講: 中央区佃にある住吉神社の祭礼・各種行事を運営する任意団体である。 正保三年(1646)佃島(現在の東京都中央区佃)に住吉神社が創建され、講組織は元禄七年(1694) 河上正吉らが初めて佃島氏子中を組織した。講の名称を昭和22年(1957)佃住吉講に変更。   祭壇脇に置かれた拍子木。09.08.02. 宮元の獅子頭。09.08.02.
佃住吉講の拍子木 宮元お神酒所の獅子頭

宮元である佃1丁目では、祭りのすべての準備を住人たち自身の手で行います。佃住吉講がこの祭を仕切っている実質的な主催団体です。 講の中で一番偉いのは講元で、講元の命令は絶対です。講では年齢に関係なく貢献度により、役員年寄、大若い衆、若い衆という序列がある。 講は外部にも開かれていて、佃以外の人も参加できる。

宮元大神輿が会場に鎮座。09.08.02.   佃住吉講の有する神輿は「宮元大神輿」や「千貫神輿」と言われ、 元は千葉市中央区に鎮座する寒川神社の宮神輿として製作されたが、台寸と胴寸を取り違えて造られたため、 予想以上に大きな神輿になってしまい「おばけ神輿」と呼ばれた。 あまりに大きな神輿であったため手に負えず、この神輿は日本橋人形町の末廣神社の宮神輿となったが、そこでも保管場所に困り、 五十年前に佃住吉講に譲られた。その年に勝鬨の御旅所までこの神輿を巡行したが、 あまりの重さに当時の人々も音をあげ、それ以来住吉神社の本祭り毎に佃と新佃の一部のみを巡行。 (佃住吉講HPより)
短き白木丸太の太き担ぎ棒

定刻通りに清祓の式。09.08.02. 佃住吉講に担がれ佃小橋へ移動。09.08.02.
住吉神社神職による清祓 発進場所への移動もオリャオリャ!ソイヤッ!

本年は天皇陛下御即位二十年、また天皇皇后両陛下御結婚五十年という祝いの年であり、 またこの神輿が佃の地へ来てから五十年と慶事が重なったため、 五十年ぶりにこの神輿が佃の地から月島へ奉祝巡行し、西仲商店街を往復することになった。  (宮神輿の渡御は平成23年の予定)

ただでさえ大きい神輿にもかかわらず、佃の狭い道路にあわせて縦棒を短く切ってしまって太い担ぎ棒にしたために、 担ぎ手一人ひとりには、とてつもなく重たいとか。
 

本格的に降り出した中を木遣り歌が響く。09.08.02. 揉みません重たくて揉めない、ただオリャオリャ!が響き渡る。09.08.02. 掛声唸るオリャおりゃ!ソイヤそいや!群衆押しのける。09.08.02.
高張り提灯と木遣が先導 佃小橋は佃住吉講が担ぐ 傘掻き分け突き進む・新佃睦会

群衆掻き分け月島に入り込む大神輿。09.08.02. 神輿揉みできぬが掛声が響き渡る。09.08.02. 気迫の担ぎと雄たけび。09.08.02.
月島西仲商店街に入り込んできた オリャオリャ!掛声が進む青睦 雄叫びあげる担ぎ手・ニ之部睦会

宮元大神輿月島渡りの佃小橋から西仲橋区間往復には持ち時間と区間が決められている。 往路は佃住吉講(宮元)、新佃睦会、青睦、ニ之部睦会、三之部睦会、四之部睦会、月睦会、晴海睦会順で、 復路は逆順で担ぐのです。  

夏祭りです。たとえ雨が降ろうと水掛けは定番、水道からホースで、溜め水をバケツで豪快に神輿、担ぎ手の区別もなく掛けます。
狭い佃の道ゆえに縦棒は短く、千貫神輿ゆえこの太い白木の担ぎ棒。まさに驚嘆です。
真夏の祭りと水掛けも雨で・・。09.08.02. 驚嘆驚愕の白木丸太棒。09.08.02.
水掛けも豪快です。ソーゥレ! ずぶとい白木の担ぎ棒


佃煮のルーツで知られる東京都中央区佃は、隅田川の河口に位置し、いまだに江戸情緒を残すレトロな町。 そもそも佃は、天正18年(1590)徳川家康が関東に下降の際、摂津国佃村から漁民33人呼び寄せ、 鉄砲州向干潟を埋め立てさせ佃島と命名し住まわせたことに始まります。 この佃を社地とする住吉神社は、正保3年(1646)六月住吉大社の分神霊を奉遷祭祀し建立された。 以来、住吉神社の例大祭(佃祭り)は、江戸幕府に許可された由緒ある祭りとして今日に至っている。
揃衣の若衆が獅子頭の鼻先めがけ殺到する獅子頭宮出しや隅田川を渡御する船渡御祭、江戸三大囃子のひとつである佃囃子にのって、 高さ20米にも及ぶ六基の大幟のもと八角神輿が繰り出す風情は、連綿と伝わる江戸下町の祭礼として民族文化的にも希有なものです。
 


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