歴史の浪漫街道   お江戸の神輿 あきる野市戸倉の三島神社 まるで甲冑のような黒屋根に古式の鳳凰を載せた大正時代の古神輿が渡御
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    あきる野市戸倉 三島神社 平成27年4月 (毎年)

神輿データ: 祭神:大山祗命 台座:三尺一寸(94) 建造年度:大正4年 製作者: 不明
特記: 延軒屋根・平屋台造りの古風な神輿です。宮出しは石段の参道が狭く少人数二天棒で担ぐ。 渡御は四天棒。
 

戸倉城山の中腹。'15.04.19.
戸倉城山中腹の三島神社の第三鳥居から参道の急な石段を慎重に降りて宮出し

創業は明治17年。'15.04.19. 末社の武多摩神社と三島神社。'15.04.19.   例大祭:
15.04.19. (日曜)
 城山宮出し10時
 渡御 本郷10:30
夕刻から本郷通りで周辺の山車の競演

あきる野市戸倉414
武蔵五日市駅から
 路線バス10分
あきる野市戸倉の地酒蔵元の野崎酒造の酒林(杉玉)と花万灯 戸倉城山の中腹に末社の武多摩神社と三島神社

戸倉は多摩川の支流秋川の上流域で三方が深い谷に囲まれた地形から、 戦国時代、秋川一帯に勢力をもつ小宮氏の居城として 戸倉城 が築かれました。
三島神社は戸倉城山の東麓、本郷集落の鎮守として、山の中腹に鎮座しています。
社伝によれば、天徳二年 (958)、伊豆国の三島神社を勧請したと伝えられています。
 

古色蒼然とした大正四年建造。'15.04.19.
古色蒼然とした大正四年建造で台座は三尺一寸(94cm)の戸倉三島神社の宮神輿

神職だけでの御魂遷し。'15.04.19. 第三鳥居前広場へ。'15.04.19.
氏子衆は拝殿に着座したまま神職だけでの御魂遷し 拝殿前から第三鳥居前の広場に降りての宮出し

参道の第三鳥居。'15.04.19.
城山中腹の三島神社の参道の第三鳥居潜り急な石段を慎重に降りての宮出し

鬱蒼とした杉林。'15.04.19.
鬱蒼とした杉林から戸倉本郷集落の参道入り口近くまで降りてきた宮神輿

戸倉本郷集落の参道入り口。'15.04.19.
村社三島神社の石標柱が立つ一の鳥居に無事にたどり着き一服して本郷集落へ

本郷集落の細い坂道。'15.04.19. 本郷集落の細い坂道。'15.04.19.
小休止後に麓の本郷御旅所へ括り太鼓と子神輿に先導され 本郷集落の細い坂道を本郷の御旅所目指して降りてくる

本郷通りの野崎酒造前を。'15.04.19.
本郷御旅所で担ぎ棒を要領よく四天棒に組んで本郷通りの野崎酒造前を本郷下宿へと渡御開始

野ア酒造(あきる野市戸倉63)は、明治17年(1884)に初代の野ア喜三郎が現地あきる野市戸倉で創業。 明治初期は、まだ酒銘をつけることは一般にはなかったようです。
当初 「喜三郎」の「喜」をとり、「喜笑」としようとしたのですが、酒は仏事にも使うので、 具合が悪いということで、「笑う」を「正しい」にかえて「喜正」という酒銘にしたとか。
 

本郷下宿。'15.04.19.
本郷下宿の深い沢沿いの細い村道を子供神輿に先導され和やかに渡御

本郷下宿のコブシ。'15.04.19.   戸倉は標高:海抜は204mです。

やっと早春の新緑が芽生えた戸倉下宿の雑木林にコブシが満開

下宿集落旧道。'15.04.19.
早春のつつじ咲く下宿集落旧道から本郷通りへと子供神輿に負けるなと渡御です

旧秋川ドライブイン。'15.04.19.
旧秋川ドライブインで休息後括り太鼓と子神輿に先導されて戸倉上宿目指して本郷通りを北上渡御です

五日市の地名は、戦国末の北条支配期に地名が始まり、天正二年(1574)に「五日市」の名称が文章に表れています。 この「市」とは江戸時代に入り山方(桧原・養沢)の焼き出す炭の取引市として発達しました。現在はJR武蔵五日市駅の名称が残る。
あきる野市は平成7年(1995)に、秋川市と西多摩郡の五日市町が合併して成立した。
戸倉の古い町並みは旧檜原道で、この道は本郷通りと呼ばれ、 野崎酒造の建屋を中心とする町並みは規模は小さいが入母屋造りの茅葺き屋根の民家が点在している。
 


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