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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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下谷神社大祭 平成26年5月 (隔年) |
神輿データ: 祭神:大年神・日本武尊 台座:4尺1寸(124) 建造年度:大正15年 製作者:行徳・後藤直光
特記: 大鳳凰を載せた急勾配の延軒屋根と胴羽目木彫り勾欄造りの大神輿。四隅の小鳥は八咫烏です。 |
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下町で一番早い夏祭りの下谷神社が上野広小路口で台座四尺一寸の千貫神輿が勇ましい掛け声で圧巻の神輿揉み |
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下谷神社大祭
'14.05.11.(日曜) 宮出し6時15分 宮入18時半
お江戸下町で一番早い 夏祭りとされ29ケ町の 氏子区域を渡御する。 台東区東上野3-29 |
大判のPOP |
朱塗りの一の大鳥居 |
参拝者が続く拝殿 |
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下谷神社の創建古く天平2年(730)当初上野公園に鎮座した。昭和6年現在地に遷座。
神社周辺の稲荷町は、この神社の旧称下谷稲荷にちなんだもの。
社殿は戦災を免れ都心の神社の中でも風格があります。
上野地区のうち 山手線より東側の29ケ町を氏子区域としており、
西側には五條天神があるが、祭の規模では下谷神社が上回るとか。 |
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春日通りから御徒町へと熱気の渡御 |
西日受けて宮神輿が燻し銀の様に光る |
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春日通りの昭和通り交差点前で仲御徒町の熱気の担ぎ手達にやっと担ぎ止めの木が入る |
下谷神社:台輪:四尺一寸(約1m24cm)、総高さ:十尺一寸(約3m)の本社千貫神輿が一日をかけて氏子29ヶ町、
延べ約6千人の威勢の良い担ぎ手により豪快に担がれる。
この祭の見どころは 鳥越の千貫神輿と並ぶ千貫神輿の渡御で、
早朝宮出し本社神輿は各町会の担ぎ手によって次々と手渡しされ一日かけて氏子区域内を渡御します。 |
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血気に逸る担ぎ手達の御徒町手前での引受け |
素早くJR山手線御徒町ガード下へと前進 |
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昭和通りを横断した春日通りから大きくブレながらも御徒町ガード下への渡御へ怒涛の進撃 |
千貫神輿の屋根の四面には神紋の銀色の稲穂紋をつけ、四隅の蕨手の小鳥に八咫烏を乗せている。
これは日本武尊に因んだも。
神輿は大正15年の建造です。 蕨手の八咫烏は神輿振りと同調してクルクルと回転する。 |
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シャッター下ろし待避する商店街の御徒町ガード下へ入り込む |
御徒町ガード下から狭い商店街を広小路口へよいと担ぎ |
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我慢のよいと担ぎから中央通りの上野広小路の広い交差点に担ぎ出して雄叫び上げて怒涛の進撃 |
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上野広小路の丸井前へ神輿揉みでジワリ前進 |
激しい掛け声と神輿揉みで上野広小路丸井へ |
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上野丸井前での興奮の担ぎ手達に神輿責任者が必死の進路指示しながら担ぎ止めの木が入る |
御徒町の由来。 江戸時代この地域は古くは下谷村に属したが、
正保年間には御徒衆(主君の外出時に徒歩で身辺警護を務めた下級武士)の住居地があり、
以後もその組屋敷が多く置かれた。これが地名「御徒町」の由来となっている。
それ以外の地域も殆んどが大名屋敷や旗本をはじめとする武家地であった。
明治5年(1872)それら武家地に御徒町一〜三丁目・二長町・竹町が起立し、以後市街地として発展する。
明治11年(1878)には郡区町村編制法により東京15区のひとつ下谷区になる。
昭和39年(1964)、行政地名としての御徒町は消滅しました。 |
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