歴史の浪漫街道   お江戸の神輿 荏原神社天王祭 北品川の目黒川から多くの渡御船団を組んで下りお台場海浜公園での御神面海中渡御
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    荏原神社天王祭 お台場海中渡御  平成27年6月 (毎年)

神輿データ: 寄木神社神輿 祭神: 日本武尊 台座:二尺一寸(64) 建造年度:昭和40年 製作者:浅草・宮本重義
    特記: 大唐破風軒屋根・勾欄造り 御神面付けての海中渡御 以前は三尺三寸の大神輿が海中渡
 

荏原神社天王祭海中渡御。'15.06.07.
猿田彦や神職達が見守るなか担ぎ手達を撥が激しく鼓舞して浅瀬や砂浜で縦横に乱舞する海中渡御

荏原神社天王祭POP.'15.06.07. お台場レインボウーブリッジ。'15.06.07.   荏原神社天王祭 海中渡御 (不定期)
 '15.06.07.(日曜) 11時半〜12時半
 会場:お台場海浜公園 港区台場一丁目
神輿は寄木神社
 (荏原神社の境外末社:品川区東品川1-35)で
荏原神社の御神面を屋根に取り付けて、目黒川の荏原神社下流の洲崎橋際より船に乗せ、 目黒川河口からお台場海浜公園まで運び、お台場で海中渡御をする。 江戸時代に牛頭天王の面が品川沖で発見されたことに由来しています。
荏原神社POP お台場海浜公園から望む砲台台場の奥にレインボウーブリッジ

荏原神社の船団。'15.06.07. お台場海浜公園。'15.06.07.
猿田彦に先導される渡御船団 神輿は最後尾へと左へ迂回する 担ぎ手達を載せた船団が続々と続き総数は20隻前後の大船団です

船上で祝詞奏上。'15.06.07.
渡御船団の最後尾へと迂回して接岸して神輿の船上で祝詞奏上を執り行う女性の宮司

船上から担ぎ手へ。'15.06.07. 受け取る担ぎ手達。'15.06.07.
御神面を付けた神輿を船上から波打ち際の担ぎ手へ 慎重に波打ち際の担ぎ手達が御神面神輿を受け取る

撥が鳴り響き海中渡御へ。'15.06.07.
よいさよいさ!の掛け声と括り太鼓の撥が鳴り響き海中渡御の開始です

海中神輿揉み。'15.06.07.
括り太鼓に鼓舞されてよいさ!よいさ!と激しい神輿揉み繰り返し

お囃子や括り太鼓の撥の連打。'15.06.07.
船上のお囃子や括り太鼓の撥が激しく鼓舞しての神輿揉み

帰路の船上へと引上げ撤収。'15.06.07.
腰ぐらいの浜辺での御神面海中渡御を無事に執り行なって帰路の船上へと引上げ

南の天王祭と言われる海中渡御は、御神面を神輿につけて執り行い、豊漁と豊作を祈る祭礼です。 通称の「かっぱ祭り」とは、担ぎ手達の散切り頭の髪の毛が海水渡御に濡れて額に下がり「かっぱ」に似ているからと言われています。
よいさ!よいさ!の掛け声で担がれる3尺強の神輿は寄木神社で、御神面は荏原神社の所有です。 お面(御神面)が拾われたところは現在 「天王洲」と名づけられている。

アメリカデイゴ。'15.06.07. 砂浜を散策する人が小さく見える。'15.06.07.   お台場海浜公園の砂浜に南国の初夏を思わせる 鮮紅色の蝶形の花を咲かせる大木のアメリカデイゴが満開です。
南アメリカ原産で江戸時代末期に渡来した。

お台場: 嘉永6年(1853)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求を迫る。 これに脅威を感じた幕府は、江戸の直接防衛のために海防の建議書を提出した伊豆韮山代官の江川英龍 (地方一代官であったが勘定吟味役まで異例の昇進)に命じて、洋式の海上砲台を建設させた。
埋め立てに用いる土は高輪の八ツ山や御殿山を切り崩して調達した。 台場は石垣で囲まれた正方形や五角形の洋式砲台で第六台場までが完成した。
現存は第六台場と埋立地造成により陸続きになり、公開されている第三台場のみです。


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