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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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長島香取八雲神社 平成27年6月 (3年毎) |
神輿データ: 祭神:建束須佐之男命 台座:三尺(91) 建造年度: 昭和29年 製作者: 行徳・後藤直光
特記: 駒札は長島町 延軒屋根 台座と胴が白木の勾欄造り 同寸の神輿(駒札:長島)建造:行徳・浅子周慶と連合渡御 |
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大団扇に鼓舞される二基の宮神輿が東葛西長島児童公園から旧江戸川の土手下のバス通りを目指す |
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長島香取八雲POP |
式典見つめる長島八雲神社社殿 |
式典で神輿庫前に鎮座する二基の宮神輿 |
長島香取八雲神社例大祭 '15.06.28.(日曜) 宮出し9時〜宮入夕刻
香取神社はもと茂呂神社といって旧長島村の鎮守で村社であった。
が別当の自性院が文久年間(1862前後)に火災に遭い、古記録を焼失したので詳細は不明ですが、約400年以上前の古社です。
また八雲神社はもと同村の西部地区に祀られていたが、昭和26年(1951)に香取神社に移されました。
江戸川区東葛西2-34-20 |
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台座が三尺と同寸の二基が揃って境内での神輿揉みと八雲神社への差し上げご挨拶して宮出しです |
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住宅地の細い神社通りを龍屋根の駒札「長島町」(本来 長島) |
続いて駒札「長島」が休息所の区立長浜会館へと(本来 長島町) |
住宅地の路地中の神社通りに面して海苔店がある。
また長島香取神社の参道脇には大正元年 (1912)に建立された乾海苔創業記念碑がある。
葛西は海苔の養殖が盛んな地で明治以降政府から海苔採取場と指定されていた。
乾海苔 (ほしのり)とは紙のようにうすくすいて干した、焼く前の海苔のことで品質や香りが長持ちするのです。 |
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東葛西長島児童公園前から旧江戸川の土手下のバス通りを目指す大団扇に鼓舞される二基の宮神輿 |
おや〜! 違うんでは
黒屋根に龍が描かれた神輿には 「長島町」の駒札が掲げられているが、平成24年度や平成21年度では 「長島」の駒札が掲げられていた。
台座は同寸だが駒札 「長島」は行徳の浅子 「長島町」は行徳の後藤と神輿建造者の違いがあるのですが。 |
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旧江戸川土手から南下して妙見島を跨ぐ浦安橋下で音頭取りの合図で独特の地摺りのご披露 |
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音頭取りの合図で一気に差し上げですがチョット担ぎ手の呼吸が合わず不均等 |
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地すり御披露の回れ廻れの掛け声でここは神輿ぶらさずに綺麗に一回転 |
地すり: 浦安と行徳地域に昔からある独特の担ぎ方です。 ( )内が(行徳担ぎ)
1)擦り(スリ)音頭役の「回れ、回れ」合図で神輿を揺らさずその場で一周します。 (3周)
2)揉み(モミ)合図で地すりとは一変し上下に激しく揺らしながら一周回ります。 行徳なし
3)差し(サシ)合図で神輿を揺らさず「回れ、回れ」と掛け声をあげゆっくり一周。 (3周)
4)放り(ホウリ)「ヨイ、ヨイ、ヨイ」と3回叩きすぐに神輿を頭上高く3回放り上げます。(3回)
伝統の正調行徳担ぎは難しく危険で最近では各所作が一回と軽減されているとか。 |
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祭礼ご挨拶のためにヨイトで邸内に駒札「長島町」が入り込む |
次の長島のために御幣に先導され邸内から出てくる「長島町」 |
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「長島町」に続いて駒札「長島」がお礼の邸内へ入り込む体勢でジワリと前進 |
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4丁目の東葛西さくら公園で御接待のあと東葛西5丁目37で再度の地すりのご披露です |
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地すりで蕨手を引き下げたり担ぎ棒の上に乗り必死に神輿を抑えこむ渡御役員達 |
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地すり最後の御披露の差し上げに後方の駒札「長島」も同時に差しです |
長島地名の由来: 秩父平氏から清重が出て青戸城(葛西城)に拠り葛西郡を支配して葛西氏を名乗った。
江戸川は古くは太日川・太日河(おおいがわ・ふといがわ)と呼ばれていて、
長島(同東葛西)は太日川河口の湊として賑わった。
中世には葛西御厨(伊勢神宮の荘園)の長島として知られ、長島殿と申す城主(長島高城)の城下の湊だった。 |
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