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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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蒲田八幡神社 平成27年8月 (3年毎) |
神輿データ: 祭神: 誉田別命 台座:二尺五寸(77) 建造年度:昭和58年 製作者:浅草・宮本重義
特記: 黒漆塗り延軒屋根・勾欄造り 8日に近い土日曜 H22年は第二日曜に渡御 同日午後に町会連合渡御 |
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出村通りの蒲田本町お神酒所で氏子青年会の女子が悠然と休息の木を入れる |
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蒲田八幡神社例大祭
'15.08.09.(日曜) 宮出し9時〜宮入16時半
大蒲田祭 15時半
9町会連合渡御。 蒲田東口歩行者天国
蒲田八幡は慶長五年(1600)の創祀。
豊前国宇佐八幡宮から勧請された神社だが境内に小円墳などがあり、
古くから開かれていた地域であり何らかの聖地と思われる。
戦後新宿八幡社を蒲田八幡神社と改めた。 |
蒲田八幡POP |
町会連合渡御の大蒲田祭 |
蒲田八幡神社社殿 |
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神事終えて拝殿前からの宮出し |
参道が狭くて鳥居下まではよいとで担ぐ |
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神社前から神輿揉みせずにサアー!サアーの掛け声で仲蒲田公園へと渡御です |
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神社鳥居前からマエダ!マエダ!の掛け声で仲蒲田公園へ早くも到達です |
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太田区民ホール(蒲田撮影所跡地)隣接の本蒲田公園にて蒲田四丁目町会に担ぎ止めの木が入る |
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出村通り蒲田温泉前へと渡御して来る |
マエダ!マエダ!と出村通りを渡御 |
蒲田出村通り 蒲田村は古く室町時代に見える。村が拡大すると蒲田村は北蒲田村や蒲田新田
(蒲田新宿村=しんしゅくむら)に分村した。
出村というのは村の形態の一つで、本村から分離または独立してできた村です。
昔は出村駅(京浜急行蒲田駅と雑色駅間で急行列車待避駅)があり、
蒲田温泉は昭和12年創業(大田区蒲田本町2-23)のある通りを出村通りというのはそのためです。 |
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出村通りお神酒所前で蒲田氏子青年会の女性が休息の木を入れる |
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第一京浜国道を横断ですが後方左側には京急(京浜急行電鉄)の踏切が見当たらない そうだ京急蒲田は高架になったのだ! |
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テクノポートカマタお神酒所前では神輿責任者が拍子木ならぬ素手での担ぎ止め |
松竹蒲田撮影所:
演劇専門の松竹は大正9年(1920)に映画に進出、当時の荏原郡蒲田村 (現在の大田区蒲田)に撮影所を構えた。
その後周囲に工場が立ち並び映画製作に支障をきたし、昭和11年(1936)に神奈川県鎌倉市の大船に移転した。
蒲田の跡地は民間企業が所有していたが平成10年区民ホール「アプリコ」ができ地下に当時の撮影所を再現したジオラマがある。
なお「蒲田行進曲」はこの撮影所の所歌です。 |
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