歴史の浪漫街道   お江戸の神輿 大正12年建造の美形の宮神輿が広域の氏子区域を巡行と転送を繰り返して渡御する代々木八幡宮
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    代々木八幡宮  平成27年9月 (不定期)

祭神: 應神天皇 台座:三尺(91) 建造年度:大正12年 製作者:行徳・後藤直光
特記: 意匠をこらした彫金細工や木彫等贅沢な造りの神輿です 巡行とトラック転送を繰り返して渡御

参宮橋駅前の坂道。'15.09.22.
渡御路の難所である小田急参宮橋駅から急勾配の商店街坂道を喘ぎながらジワリと登ってくる

かわら版。'15.09.22. 山手通り鳥居。'15.09.22. 八幡宮社殿。'15.09.22.   代々木八幡神社例大祭
 '15.09.22.(祝日)
 宮出し8時〜宮入17時半
前後の祭日には町会神輿連合渡御が執り行われる

建暦2年 (1212)元八幡の地に小さな祠を建て、鶴岡八幡宮を勧請したのが創始
 東京都渋谷区代々木5-1
代々木八幡宮POP 献灯が並ぶ山の手通り正面鳥居 鈴緒 (すずお)4本が下がる社殿

八幡宮北の住宅街。'15.09.22.
宮出しの境内から坂道降りて住宅街の細い路地中を小田急線に沿って北進

五丁目親交会。'15.09.22.
なんと巡行予定よりも早くに淡い朝日のなか五丁目親交会が引受け渡御再開

棟梁達の木遣唄に先導。'15.09.22.
棟梁達の木遣唄に先導されて休息所の辰美屋から参宮橋へ出立つです

代々木四丁目住宅街。'15.09.22.
代々木四丁目の午前の静かな住宅街を小田急参宮橋駅を目指して渡御です

参宮橋商店街。'15.09.22.
お囃子車輛に先導され参宮橋商店街の参宮橋駅前へと威勢の良い掛け声で担いで来る

小田急参宮橋駅。'15.09.22.
小田急参宮橋駅で差し上げご挨拶して商店街へと神輿を正面に戻して前進してくる

参宮橋商店街の急勾配。'15.09.22.
担ぎ手が苦労する難所の小田急参宮橋商店街の急勾配を喘ぎながらジワリと登ってくる

明治神宮への西参道。'15.09.22.
明治神宮への西参道入口沿いの代々木四丁目お神酒所へと北進してくる宮神輿

車輛転送。'15.09.22. 初台水路緑道公園前。'15.09.22.
三丁目神酒所から玉川初台緑道公園へトラック転送 転送されて初台水路緑道公園前に鎮座して渡御を待つ

玉川上水旧水路緑道(代々木緑道):  初台駅の南口から、新宿へと続く緑道は全長約18Kmです。 玉川上水は江戸時代に急増する江戸庶民の飲料水を確保するため、 多摩川の羽村取水口から四谷大木戸(現在の新宿御苑前)まで掘られた約43kmの用水路です。  

初台緑道公園入口。'15.09.22.
初台緑道公園入口から大勢の観衆の熱い視線を受けて初台坂の渡御再開です

初台坂を渡御。'15.09.22.
熱い視線の中を初台氏子会が初台坂から山手通り交差点へと南進してくる

初台の地名の由来:
京王新線初台駅から代々木八幡宮に向うなだらかな坂を初台坂といいます。
徳川幕府が成立した頃、功臣の土井利勝 (老中・大老)の弟である土井昌勝の妻は、二代将軍徳川秀忠の乳母となり 「初台の局」と呼ばれました。 このあたりは初台の局が天正19年(1591)、当時の代々木の村に二百石の知行地として賜ったところで、 晩年ここに隠居したことから、地名が「初台」になったといわれています。
 


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