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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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阿伎留神社 氏子廻り 平成27年9月 (毎年) |
祭神: 大物主命 台座:五尺 (152) 建造年度:昭和56年 製作者: 栃木・小川政次
特記: 台座は正方形で胴と屋根は六角形 平屋台造り 二天棒で担いで渡御する東京一の大神輿 |
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御旅所から檜原街道へと六角神輿を二天棒で担ぎ出して氏子廻りへと出立つです |
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例大祭 15.05.29.(火曜)
28日宮出し18時から御旅所へ、 29日氏子廻り御旅所13時から15時半、 30日18時から宮入21時
上町・東町・下町・ 仲町・栄町の5町会が神輿渡御を行い、
神社宮本である仲町小庄(こしょう)が お先祓い太鼓を、
五日市入野(いりの)が獅子舞を奉納する。
あきる野市五日市1081 御旅所 檜原街道 五日市バス停前
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あきる野三大祭りPOP |
入野の獅子舞POP |
明治21年建造の社殿 |
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阿伎留神社神輿渡御300年祭。
祭礼は古来、神輿が28日夜半秋川の川原に降り、そこで終夜祈祷の後、29日還御になる例であったのを、
正徳5年(1715)から現在のかたち(下町の御仮屋に還御する)に改めたものと伝えられている。
正徳5年は徳川家康の百回忌にあたり、諸国祭礼も華やかに行われたので、五日市宿においても御仮屋を新調し、
28日夜神輿を宿内の御旅所に納め、29日宿内巡行の後、本社に還御する方式を始めたといわれている。 |
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御旅所での祝詞と順路説明終えると同時に担ぎ手が一斉に |
担ぎ棒の争奪戦のごとく担ぎ手が縁台に群がって担ぎ出す |
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御旅所から檜原街道へと二天棒で担ぎ出すが台座持ちが横振れと重さに必死です |
六角神輿の初代宮神輿は残念ながら焼失したが、二代目は文政6年(1823)〜昭和55年(1980)まで担がれ、
現在の台座五尺の六角神輿は三代目で昭和56年の建造です。 |
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檜原街道から威勢のよい掛け声で仲町の栗島神社から阿伎留神社へと氏子廻り |
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阿伎留神社の参道鳥居前へ疲労困憊の担ぎ手達が二天棒で担ぐ傾き修復出来ぬまま休息所へ |
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阿伎留神社の玉垣脇での休息後で体勢整えての氏子廻り再開です |
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檜原街道から五日市高校脇を渡御して長閑な入野の裾野沿いを氏子廻りです |
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五日市中学校北で小休止後に仲町小庄お先祓い太鼓の先導で五日市保育園脇から檜原街道東町へ |
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我慢の狭い氏子廻りから広い檜原街道を秋川街道入口から折り返して東町接待所近しと余裕の担ぎ |
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阿伎留神社祭礼飾り花傘 代表的な小平神明宮の花傘に地口行燈飾りはよく見かけるが、
花傘に提灯を下げるのは珍しい。
祭礼開催地域が江戸時代に始まった檜原街道の「炭の市」の歴史ある宿場町の五日市であり、
丸型提灯の絵には同じ東海道の宿場が精巧に描かれていて見応えがある。 |
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御旅所で五日市入野の囃し立てる道化の大団扇で獅子舞 |
三本の横笛に歌いと花傘乙女の拍子木に合わせての獅子舞 |
入野の獅子舞奉納は11時半に御旅所、12時半は栄町、13時半は東町で披露される。
なお28日開光院と阿伎留神社、30日仲町と入野と阿伎留神社で獅子舞が披露される。 |
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五日市入野(いりの)の曲目が7曲あるというその内の一曲である三拍子の獅子舞です |
あきる野の由来:
平成7年に秋川市と五日市町が合併した「 あきる野市 」あきるの名は,
平安時代の「日本三代実録」と「延喜式」に記載されている古い神社阿伎留神社や、
鎌倉時代からこの辺りの土地の名称であった秋留郷の“あきる”に由来するようです。 |
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