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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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宇奈根氷川神社 平成27年10月 (毎年) |
神輿データ:祭神: 素盞鳴命 台座:二尺八寸(84) 建造年度: 昭和21年 製作者: 不明
特記: 唐破風軒屋根 四方桟唐戸 勾欄造り 素朴な古神輿の宮神輿は分村になった川崎宇奈根氷川に譲渡された。
世田谷宇奈根氷川の渡御は平成12年(2000)に建造の台座2尺3寸(69cm)を御太鼓が先導して渡御をする。 |
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渡御路の宇奈根三丁目の路地沿いの風情ある田園風景の雑木林は残念ながら分譲宅地工事が進んでいる |
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例大祭 '15.10.12.(祝日) 宮出し13:00〜宮入18時
多摩川の肥沃でなだらかな農耕地のため旧農道が縦横に走り神社への道は複雑で迷子になりそうだ。
世田谷区宇奈根2-13-19 |
宇奈根氷川POP |
広い境内と参道に沿って地口行燈が並ぶ |
神事行われている宇奈根氷川の拝殿 |
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創建年代は不詳ですが少なくとも江戸期には宇奈根村の鎮守社であったといい、
世田谷の喜多見町、大蔵町のそれと共に氷川三所明神の一つで村内観音寺持だった。
明治4年に村社となった。昭和20年5月の空襲にあったが、同37年に社殿その他が再建された。 |
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お囃子山車と大太鼓が並び宮神輿へ祝詞奏上 |
慰霊祭を執り行い参道の鳥居を潜り拝殿に戻る |
何故か閉め切った社殿内での厳かな神事がマイクで境内に朗々と流れます。
その後、拝殿前から隊列を組んで鉄棒が先導して境内参道鳥居脇の慰霊碑での神事です。
お囃子山車と御太鼓(昭和21年の建造)は宮神輿の宮出し前に出立つします。 |
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祭り衣装に襷がけの子達が古めかしい小振りの元の宮神輿に集まり渡御の先頭で担ぐぞと楽しげです |
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毎年の慣例か拝殿前の参道からのサッと担ぎ出しです |
前触れなく拝殿から白狐が躍り出て宮神輿を見送る |
世田谷宇奈根は喜多見、大蔵、鎌田、多摩川河川敷に囲まれている地区です。
この長閑な田園地帯に軍事工場もないのに、何故か昭和20年の5月に米軍の大空襲に遭ったか理解できません。
氷川神社では例大祭に空襲慰霊祭を執り行っていますが。 |
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拝殿前参道から広い境内に担ぎ出して社務所と神楽殿前をゆったりと神輿揉みしながら |
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渡御路は細く狭くて我慢担ぎが多くてこの広い境内を思う存分にゆったり担ぎ楽しんでいる様です |
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毎年の例大祭の宮出しで担ぎ手は慣れたものだとこの広い境内で余裕の神輿揉みです |
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宮出し後の社殿裏へと渡御中にカーブミラーに神輿が映っていると気付く担ぎ手 |
今回で二回目の訪問でしたが神社までの順路で迷子になりました。
宇奈根の観音寺や常光寺が並ぶバス路線の水道道路。バス路線の宇奈根地区会館が目印ですが、
いや観音寺から入り南進するのが迷わないでしょう。 |
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宮神輿が宮出しに先行して待っていたお囃子山車に先導されて神社境内沿いを渡御です |
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生茂る屋敷林の大木の脇を囃し立てる手拍子に鼓舞されて細い路地中を渡御 |
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長閑な田園風会が残っていた屋敷林も分譲宅地となり風景が変貌です。残念ですね。 |
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宇奈根三丁目の路地中を甲高いピーピッピ・ピーピッピと呼子笛が担ぎ手を鼓舞する |
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宇奈根三丁目の住宅地の細い路地中の休息所へとピーピッピ・そ〜れ・ピーピッピ〜 |
この辺りは町田川・清水川など曲がりくねった用水が縦横に走っていて、
多摩川の肥沃な土砂が堆積してできた土地なので、水田・稲田に関わる農耕地の佇まいから、
「宇奈根神は穀物の神」 (延喜式)や 「ウンナン様」は田の中の神 (地名の語源)により、名付けられたとか。
宇奈根という地名は多摩川の対岸の神奈川県川崎側にもあります。多摩川の度々の氾濫でこの地域が分断されたためです。 |
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