歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 多摩川東側の田園調布の氏子衆が三つ屋根紋の神輿を担ぐ多摩川浅間神社
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    多摩川浅間神社 平成25年06月 (3年毎)

神輿データ: 祭神: 木花咲耶姫命 台座:三尺(92) 建造年度: 不明 製作者: 不明
  特記: 桜と巴・八呎烏の三つ屋根神紋 延軒屋根・勾欄造り 飾り綱の蕨手との結びが独特
 

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田園調布駅西口を目指し喘ぎながら三丁目住宅街を上ってくる多摩川浅間神社

浅間神社POP。'13.06.09. 社殿と浅間造本殿。'13.06.09.   多摩川浅間神社
'13.06.09.(日曜) 宮出し8時半〜宮入19時

社務所の二階建てのテラスの北側奥に社殿が建つ。
社殿は昭和48年(1973)の建造で、本殿の建築様式は浅間造 (社殿の上にさらに別の社殿が載った二階建ての建築様式)で、 東京都内では唯一のものである。
東京都大田区田園調布1-55
神幸祭POP 高台に建つ社殿と浅間造本殿

多摩川浅間神社は鎌倉時代の文治年間(1185-90)の創建と伝えられる。
高く険しい山々は、神々の鎮まるところとして神聖視され、 木花咲耶姫命の鎮まる霊峰富士に「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」を唱えながら登拝し、 その山容に似た雄大な神徳を仰ぐ浅間信仰に基づき、各地に浅間神社が勧請されている。
 

晴天なのに奉納者名を覆うシート。'13.06.09. 宮出しは急な参道を降りる。'13.06.09.
奉納者名を雨シートで覆った参道からの宮出し 多くの担ぎ手と共に急な参道を降りてくる

建ち並ぶ夜店とヨシズのお仮屋に挟まれた狭い境内の社務所前での神事終えて定刻通りすぐの宮出しです。 参道前で神幸祭の隊列とお囃子車輛が待機中。  

多くの担ぎ手達と参道入り口に出る。'13.06.09.
高台の社務所前からこぼれ日が射す坂道の参道から鳥居前通りへの宮出し

多摩川線沿いは夜店並ぶ。'13.06.09. 威勢よく多摩川駅へと渡御。'13.06.09.
夜店建ち並ぶ神社前通りを威勢よく 東横線多摩川駅前商店街を渡御

東横線のガード下をヨイトで潜り渡御再開。'13.06.09.
東急東横線のガード下をヨイトで潜りぬけるとここからは上りが田園調布まで続く渡御路

多摩川駅過ぎると上りの渡御路。'13.06.09. 閑静な三丁目住宅街を渡御。'13.06.09.
上りが続く三丁目住宅街への渡御 閑静な住宅街を喘ぎながら上ってくる宮神輿

叱咤激励するハンドマイクの指揮者。'13.06.09.
登りきった宝来公園で担ぎ手は交代だぞ!頑張れ!と叱咤激励するハンドマイクの指揮者

田園調布イチョウ並木を賑やかに。'13.06.09.
宝来公園で引き受けた元気な担ぎ手が田園調布駅西口のイチョウ並木を賑やかに渡御して来る

田園調布駅西側に広がる扇状の住宅街はイチョウの並木で秋には見事に黄葉する。 駅東側は桜並木が続くが、その多くが老木となり最盛期の一割程度しか残っていない。 扇状の中心に大正建築様式の西洋館東急駅舎が建つ。  

高張り提灯には紅く染めた神紋の桜。'13.06.09.   珍しい三社の屋根紋は浅間神社(祭神の木花咲耶姫命の桜)、合祀の赤城神社(左三つ巴)、合祀の熊野神社(八咫烏)です。

明治40年に「一村に一神社」という合祀の政令が出されて、各神社の氏子たちの協議の結果、 浅間神社が新しい村の鎮守になったが、各やしろの歴史を尊んだ結果なのです。
四面に三社の屋根紋掲げる

田園調布の由来: 大正7年に渋沢栄一(田園都市梶jが閑静で住むのに便利な「田園都市」をと計画して造られた町です。 町名は田園都市の「田園」と旧村名の「調布」からとられた。 大正末期には目蒲線、東横線が開通した。
              参照: 田園調布駅西口の黄葉したイチョウ並木
 


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