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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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日枝神社 山王祭り神幸祭 平成28年6月 (2年毎) |
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皇居坂下門に駐基する鳳輦二基と宮神輿前での巫女による剣の舞を奉納 |
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日枝神社 神幸祭 '16.06.10. (金曜) 7時半〜17時 |
皇居坂下門 |
坂下門前での駐輦祭 |
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山王祭の神幸祭は宮司や総代が江戸時代から続く皇居への神符の献上と参賀をする。
四谷〜靖国神社〜国立劇場(元山王)〜
祝田橋交叉点から外苑坂下門口そして 「皇居坂下門 11時35分 駐輦祭 12時 皇居参賀」〜
丸の内〜日本橋日枝神社〜銀座中央通り〜新橋〜永田町を御鳳輦二基と宮神輿一基そして山車五基が、王朝装束に威儀を正して、
東京都心を約300mの祭礼行列が練り歩きます。 |
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日枝神社(千代田区永田町2丁目10番5号)は武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、
さらに文明10年(1478)太田道灌が江戸の地を相して築城、
天正18年(1590)徳川家康が江戸に移封され江戸城を居城とする。
山王祭は京都八坂神社の祇園祭と大阪天満宮の天神祭との日本三大祭であり、
また神田明神の神田祭と富岡八幡宮の深川八幡祭との江戸三大祭です。
右の写真は和田倉門公園の石垣。 |
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皇居外苑から坂下門へと鳳輦二基に続いて宮神輿が所定の駐基場に入り込む |
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坂下門前での駐輦祭に鳳輦二基と宮神輿の三基が鎮座して式典を待つ |
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内堀通りの車輛の騒音も驚くほど静寂な坂下門前での祝詞奏上される駐輦祭 |
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一時の静寂に包まれた駐輦祭も慌ただしく摂社の日本橋日枝神社へと出立つの掛け声 |
鳳輦(ほうれん): 屋形の上に金銅の鳳凰(ほうおう)を飾った輿(こし)。土台に二本の棒を通し肩で担ぐ、
天皇の晴れの儀式の行幸用のもの。鳳輿(ほうよ)。鸞輿(らんよ)。転じて天皇の乗り物を称する。 |
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休息場所の摂社の日本橋日枝神社に向けて鳳輦一の出立つです |
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摂社の日本橋日枝神社へ鳳輦二の出立つ |
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宮神輿が丸の内仲通り目指して巡行 |
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丸の内仲通りへと御神馬と太刀持ちと騎乗権宮司 |
祭礼行列の王朝装束の雅楽奏でる楽人たち |
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丸ビル角を曲がる鳳輦一 |
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続いて丸ビル角を曲がる鳳輦二 |
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丸の内仲通りへと宮神輿 |
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炎天下の祭礼行列で巫女装束姿も爽やかな白い小袖に緋袴の神楽鈴持つ巫女 |
日枝神社の神幸祭は山王祭の最大の儀式で、鳳輦二基と宮神輿一基そして山車三基が300mもの祭礼行列を組み、
総代役員や氏子青年に供奉されながら、都心の広大な氏子地域を丸一日かけて巡幸します。
なお神幸祭は江戸時代に始まったが、現在の様式 (鳳輦が王朝装束に威儀を正した氏子崇敬者を従える)になったのは、
明治15年 (1882)に日枝神社が宮社列格 (国から奉幣を受ける神社)になってからなのです。 |
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