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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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亀戸浅間神社 平成25年07月 (4年毎/ 7月又は8月) |
祭神: 木之花咲耶姫命 台座:三尺五寸(107) 建造年度:寛政2年 製作者:桃の井源弥
特記: 平屋台造り 古風な井垣と鳥居 注意: 中神輿は本祭の2年目に渡御していた。 |
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鳥居から威勢よく担がれて神社通りの公園を悠然と渡御して来る |
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亀戸浅間神社 '13.07.28.(日曜) 宮出し8時半 宮入16時
江東区 亀戸9丁目15-7 注意 渡御日変動あり |
例大祭POP |
境内より高く建造された社殿 |
元禄、天明、安永の刻印の地蔵尊 |
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大永7年(1527)、木花咲耶姫を迎え、笄塚の上に社殿を建てて祀ったのが創建。
安政2年(1855)の大地震で社殿が倒壊。明治11年(1878)、富士山より溶岩を運んで富士塚を築き、その上に社殿を再建した。
大正12年(1923)、関東大震災により再び社殿は被害を受け再建。
戦災を免れたが、平成10年(1998)、都の防災再開発事業のため、社殿が富士塚北側の現在地に移された。 |
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社殿前で役員交えての宮出し神輿揉み |
社務所前で渡御のご挨拶の神輿揉み |
亀戸浅間神社では4年ぶりに例大祭を執り行う氏子地区は、
首都高7号線と旧中川そして亀戸中央公園に囲まれた高層団地が建ち並ぶ地区で、
宮出しはお囃子と子供神輿に先導されて渡御して行く。 |
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亀盛睦の指揮で渡御する隊列を確認しながら騎乗宮司が最後尾についてくる |
例大祭で渡御列につく多くの宮司は徒歩です。
まれに人力車、オープンカーに乗車の宮司も見掛けますが。
騎乗できる宮司は少なくて、珍しいのです。 |
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亀戸浅間公園前道路を渡御 |
悠然とした騎乗姿が似合う宮司 |
亀戸浅間公園はかっては浅間神社の境内でした。
平成10年に都の防災再開発事業のため、社殿は現在地に移転したのです。 |
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京葉道路9丁目交番所の斜めに長い交差点を一気に渡れよと指示が飛ぶ |
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皆が望む休息所のご接待所に近づく |
ご接待の方々へ差し上げでご挨拶 |
大島9丁目地区では珍しい戸建て住宅が建ち並ぶ浅間竪川でのご接待所です。
冷水と梅干しに担ぎ手達皆が群がる。もちろんお握りほおばる人も多い。 |
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担ぎ手達だけでなく渡御列に参加の全員が望む給水の休息所でやっと木が入る |
境内にある六ツ目地蔵尊は 有形民俗文化財です。
庚申塔 元禄10年(1697)在銘 法華経供養塔 元禄14年(1701)在銘
地蔵供養塔 天明2年(1782)在銘 観音供養塔 安永8年(1779)在銘
と民達の歴史を刻む石塔が多く残されている。 |
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正保年間(1644〜1647)ごろに、海岸の低湿地を開発して村が作られ、約250年前の「元禄図」に初めてその名が出ている。
当時比較的大きな島であったので、この地名がつけられたとされる。
「大島」の読みについては、弘化4年(1847)改版の「江戸町鑑」に「大ジマ」と濁音で呼ぶよう強調されている。
これは深川猟師町の一つであった大島町と区別して、ここを「大ジマ」と呼んだと推定されている。
その後昭和40年(1965) の住居表示制度実施時に「おおじま」と決められた。 |
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