歴史の浪漫街道   お江戸の神輿  先導する猿田彦に続いて五色の幟をなびかせて第一京浜を悠然と渡御する御田八幡神社
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    御田八幡神社  平成29年8月(不定期)

神輿データ: 祭神: 誉田別尊 台座:二尺三寸(70) 建造年度:昭和10年 製作者:浅草・宮本重義
特記: 黒漆塗りの延軒屋根 菊紋 胴羽目木彫 勾欄造り H24年は東廻り渡御

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御田八幡神社の参道を出てすぐに第一京浜を札の辻の交差点へと渡御してくる

mitahatiman.jpg(43792 byte) mita-hudanotuji.jpg(52520 byte)   御田八幡神社
平成29年8月6日(日曜)  13時〜17時
第一京浜沿いの神社入口角のビルには社号の
書かれた大きな10階ビルが建つ。

三田・芝・芝浦・港南・高輪の広い範囲が氏子地域で例年トラック車載での巡行ですが、 平成の29年度大祭では8年ぶりに宮神輿が担がれて渡御する。  東京都港区三田3-7-16
POP 第一京浜の札ノ辻を渡御する

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石段を上った岡の上の狭い境内での厳かな神事

神社は海側斜面に位置する。江戸時代には直ぐ正面に東海道が走り、その向こうは江戸湾の海浜が開け、 さぞかし風光明媚であったと言われる。 しかし明治40年代に芝浦の埋め立てが始まりその面影を失うことになる。

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岡上の狭い境内での神事を終えて参道急石段下からの担ぎ出しです

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渡御行列の先導役の猿田彦と五色幟に続き掛け声合わせて第一京浜を札の辻の交差点へと

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神社名掲げたビルを背に第一京浜の札の辻の交差点へ渡御してくる

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第一京浜を札の辻の交差点へ

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第一京浜を札の辻の交差点へ

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第一京浜の三田3丁目から威勢の良い掛け声で休息所へと目指して渡御

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休めるぞと路地中の休息所の港芝五局郵便局前へ 担いだぞと早くも御接待のマックを頬張る

御田八幡神社は大火によって社殿が全焼したが、寛文十二年(1672)に細川越中守によって社殿が再建された。
芝浦の埋め立てが始まったのは明治四十五年(1912)の事である。 大正八年(1919)には芝浦海面埋立地が完成した。
 


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