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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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八王子祭 多賀神社千貫神輿 平成25年08月 (毎年) |
祭神: 伊弉諾尊 台座:四尺五寸(137) 建造年度: 明治15年 製作者:浅草だが不明
特記: 延軒屋根・平屋台造り千貫神輿 担ぎ手は1600名。市指定文化財。昭和52年改修工事。 |
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急に降りだした雨を気にもせず「よいさよいさ」の掛け声で本郷横丁東交差点を横断 |
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山車の八王子祭り |
西放射線ユーロード入口 |
国道20号線追分町からの渡御に町会提灯が集結 |
多賀神社は天慶元年(938年)に武蔵介(国司の第二位)に任ぜられた源経基が国土豊穣、万世安穏を祈願する為、
滋賀県多賀大社から分祀し、この地に勧請したと伝えられている。
八王子は生糸・絹織物の町であったので、境内に織物業や織子が信仰した機守(はたもり)神社がある。
多賀神社は「西の鎮守」と呼ばれている。 八王子市元本郷町4丁目9-21。 |
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触れ太鼓が高張り提灯や氏子役員を先導 |
赤い水玉鉢巻の多賀睦が宮神輿を担ぎ出す |
多賀神社千貫宮神輿渡御 '13.08.04.(日曜) 15時〜18時 追分町交差点〜八幡辻〜八幡町交差点。
宮神輿は多賀神社境内から追分町まで美形の台車に乗り転送されてくる。 |
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追分交差点からの渡御開始の多賀睦の激しい神輿揉みで早くも宮神輿が大きくブレだす |
例大祭は上(かみ)の祭りとして8月15〜16日におこなわれていたが、
昭和41年から八王子まつりに総合され最終日に甲州街道上地区で圧巻の渡御をする。 |
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八木町で赤い鉢巻の担ぎ手軍団に激しく揉まれて熱気とパワーで圧巻の渡御をして来る |
胴に晒巻いた台座四尺五寸、重さ約四トンの大神輿を、
担ぎ手達の血湧き肉踊る熱気の、よいさよいさの掛け声でまさしく怒涛の担ぎで前進です。 |
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広い本郷交差点を右や左に大きく振る |
本郷交差点をブレながらもじわり前進 |
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本郷横丁で草色鉢巻の担ぎ手に変わり交差点を大きくぶれながら前進してくる |
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水色鉢巻担ぎ手が降り出した雨の本郷横丁東を |
よいさよいさの掛け声でジワジワと八幡町へ |
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担ぎ最終の八幡町交差点はすぐそこだと水色鉢巻の担ぎ手達が彼方此方でエキサイトする |
担ぎ手達の「よいさよいさ」の高揚した低い唸り声に似た掛け声が甲州街道に響き渡る。
熱気の担ぎ手達の躍動するパワーは圧巻です。 |
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「よいさよいさ」と熱気の担ぎ手達の渦を渡御最終の八幡町交差点へと水玉鉢巻の多賀睦が必死に導く |
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町会高張り提灯や氏子役員が総出迎え |
拍子木に合わせ拍手喝采で千貫神輿に渡御の〆 |
多賀神社千貫神輿は、
江戸時代に舁がれていた六角大神輿に代わって明治15年(1882)に東京浅草(建造神輿屋は不明)で建造された。
昭和52年(1977)に95年ぶりに解体修理が行われて建造時の優美な姿が復原されました。 |
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受け継ぐ祭人達の魂だと謳う、山車が主役のそれが八王子まつりです。
上地区では山車9台による「八幡大辻合わせ」が行われ、
写真の八幡町旧二丁目の諌鼓鳥と旧一丁目山車ともに有形文化財。
下地区では八日辻、横山辻で「山車辻合わせ」と、
10台の山車が集結する「年番送り」 |
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文政2年建造の諌鼓鳥 |
明治19年の神武天皇の山車人形 |
八幡町の諌鼓鳥(かんこどり)
中国古代の君主が「政治に不満あれば太鼓を打ち鳴らし訴えよ」と宮廷に設けられた太鼓のこと。
文政2年(1819)の制作で、彩色は昭和3年(1928)の昭和大典記念の折に施された。
町会詰所に展示。 |
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江戸時代から続く市街地の氏子を中心とする山車祭りは、 江戸中期から明治中期にかけて人形山車の祭りとして、
明治後期以降は、彫刻を全面に施した彫刻山車の祭りとして、関東一円に名声を博していました。
戦禍に遭い8台の山車が焼失したが、復活再建させて 関東有数の山車まつりといわれる「八王子まつり」には、
19台もの山車が登場します。
夕刻からの山車提灯の灯火によって彫刻を浮かび上がらせて、巡行する姿は見ごたえ充分。
山車を寄せ、囃子を競い合う「ぶっつけ」は必見だとか。 |
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