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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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新宿(にいじゅく)日枝神社 平成25年09月 (4年毎) |
神輿データ:祭神:大山咋命 台座:四尺五分(123)建造年度:明治20年製作者:小伝馬町・大和屋熊次郎
特記:延軒屋根に古風な鳳凰 平屋台造り 桟唐戸や欄間の彫刻が見事 H20年社殿改築 |
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中川大橋東から高砂地区へと渡御のため国道6号線を約50mを威勢よく担ぐ |
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新宿(にいじゅく)日枝神社
'13.09.08.(日曜) 宮出し9時〜17時
前回と同じ渡御路で午前は国道6号線以南の高砂地区、午後は国道以北の新宿地区を渡御。
小神輿2基(子供神輿)は別渡御路です。
境内参道の山王鳥居(明神系)がひと際目立つ。 葛飾区新宿2-1-17。 |
伝統カラーPOP |
山王鳥居(明神系)横での発輿式 |
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武蔵国風土記稿の新宿町の条に「山王社 町の鎮守なり。宝蓮寺持」と記載されて永禄2年(1559)頃に創建。
享保14年(1729)中川改修の時、現在地(鏡智院境内)に遷座する。
社殿は明治44年、弊殿は昭和11年、神楽殿は昭和6年の造営であったが、平成21年山門鳥居も含め全てを一新する。
一風変わった山王鳥居(明神系)で、
別名は合掌鳥居、日吉鳥居、総合鳥居とも言われます。
滋賀県の日吉大社にあり、山王の教えと文字を形にしたとも言われています。
東京赤坂山王の日枝神社にもあり、日枝神社特有の鳥居です。 |
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宮神輿と小神輿が胴に晒を巻き厳かな神事 |
降り出しそうな曇天のなか山王鳥居脇から宮出し |
氏子役員が曰く、気付きにくいが区の天然記念物指定の幹回り3.3m大イチョウがあるよ。
雌株で神社移転後の植栽で、拝殿の裏側と中川の土手に挟まれた狭い空間に佇んでいますよ。
銀杏コーナ-を掲載する編集者は知らずシュン!
なを手水舎の水の注ぎ口は日枝神社の神使であるお猿さんの親子ですぞ!と。 |
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境内から神社前道路に担ぎ出される |
響き渡る亀有木遣保存会の菊粋が先導 |
「いなせな町火消しは江戸の華」と昔から謡継がれた木遣り。
亀有木遣保存会の「菊粋」は、地元の鳶旭屋四代目(故)高橋菊次さん指導で
木遣を愛する同好会を発足して週1回の練習も20年以上になるとか。
亀有香取神社祭禮では宮神輿の組立から始まり木遣奉納・宮神輿の巡行時の帯同・神輿解体まで勤める。 |
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境内脇の狭い路地ゆえ担ぎ手たち慎重ながらも威勢のよい掛け声で担いで来る |
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広いバス通りに出たぞとホットする担ぎ手達 |
我慢担ぎから解放され雄叫び上げての神輿揉み |
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交通規制された大通りの中央を悠然と神輿揉みしながらの渡御です |
宮神輿のなかには胴に白い晒を巻くがこの晒、何の意味もなくただ格好をつけるだけのものだ!と、
下館の祇園祭り役員は誇らしげに曰く。
下館も胴に白い晒を巻くがこの晒に羽黒神社の朱印を押し墨書きで署名をする。
これをのちに安産のお守り岩田帯とする。重要な祀りごと、神事なのであると。 |
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怪しげな曇天に負けるなと威勢のよい掛け声で休息所目指し渡御 |
地名の由来:「新宿」(にいじゅく)とは、戦国時代小田原に本拠をもつ後北条氏によって対岸の葛西城の町場として、
新しく整備された宿です。
この地は、常陸以北と下総への分岐点でもあり、河川交通とも交わる交通の要衝として栄えたところです。
江戸時代には、古街道が水戸佐倉道として整備され、「新宿」は「千住宿」と「松戸宿」の繋ぎの宿として位置付けられました。 |
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