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			伝承と伝統の民族文化遺産 | 
			
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			祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 | 
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	        烏森神社例大祭 平成26年5月 (隔年) | 
		 
	   
	
	
	
		
			
			神輿データ:  祭神:倉稲魂神 台座:4尺2寸(127) 建造年度:昭和5年 製作者:神田・だし鉄 (神田田代町の山本正太郎) 
			     特記: 延軒の八棟屋根・平屋台造りの大神輿。蕨手には神社の紋の烏が乗っている。昭和57年に神田の宮惣によって解体修理。 | 
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			高揚と熱気の担ぎ手達の渦の中を重厚長大で煌めく千貫神輿が柳通りを怒涛の進撃です | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			| 烏森神社参道に張られた例大祭の大判POP | 
			小雨降るJR新橋駅前SL広場での発輿式 | 
		 
	   
	
	
		
			
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			烏森神社例大祭 '14.05.05.(祭日) 
			 発輿祭 10時半    JR新橋駅前SL広場 
			 湯島白梅太鼓奉奏 11時 
			渡御 11時半宮出しSL前   宮入 17時半 参道前  東京都港区新橋2-15。 | 
		 
		
			| 社紋背負う皐月半纏 | 
			烏森神社氏子半纏 | 
			神輿渡御警護半纏 | 
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			烏森神社は飲食店街飲み屋横丁のど真ん中の路地中にあり、
			社殿や境内・参道は極端に細く狭く渡御祭の宮出しはJR新橋駅前のSL広場で執り行う。 
			
			烏森神社は平安時代の天慶三年(940)に、東国で平将門が乱を起こし、
			 時の将軍藤原秀郷 (俵藤太)が武州のある稲荷に戦勝を祈願した際、白狐が現れ白羽の矢を受けその矢を持ち、
			 東夷を鎮め得た秀郷がお礼として、
			 白狐が神烏の群がる所が霊地だと告げた霊地の現所に勧請し社頭を造営したのが烏森神社の起こり。 
			 明暦の大火で江戸の殆どが焼失したが烏森神社は焼けずにのこったが、何故この狭さなのか。
			 東京大空襲の結果なのか! | 
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		    極端に細長い飲食店街を貫く参道の奥に社殿の階段が見える | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			| 祭礼行列を守護して先導する獅子頭 | 
			町火消し「め組」が付き添う一枚高下駄履く天狗 | 
		 
	   
	
	
		
			
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			大群衆の熱気と掛け声が渦巻き大きく左右にブレながらもじわりと前進する怒涛の進撃 | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			神輿警護班が必死にハンドマイクで割り込み注意するも熱気の渦が千貫神輿を囲む | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			勇ましい掛け声と熱気の渦で千貫神輿を囲みこむ担ぎ手達の躍動するパワーは圧巻 | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			| 先導神輿と女神輿そして千貫神輿が烏森口から入り込む | 
			千貫神輿が新橋駅ガード下をギリギリに押し分ける様に前進 | 
		 
	   
	
	
	
		
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			先導神輿はニュー新橋ビル一周と宮入にも担がれるが、
			真っ赤な半纏を着た担ぎ手の女神輿はニュー新橋ビル一周のみの担ぎです。 | 
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			新橋駅日比谷口前からSL前へと雄叫びと怒涛の担ぎでニュー新橋ビルを一周してきた千貫神輿 | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			| 落ち着き取り戻し外堀通りからレンガ通りへと威風堂々の担ぎ | 
			先ほどのバトルが嘘の様なレンガ通りをゆったり渡御 | 
		 
	   
	
	
	
		
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			新橋赤レンガ通り: 明治5年から10年にかけて造られた銀座通りと同じ時期に造られた煉瓦街で、
			この赤レンガ通りは新橋2丁目交差点から、3.4.5.6丁目までを串刺ししている道路です。 | 
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			西新橋を目指してゆったりとレンガ通りから汐留シオサイト高層ビル群を背景にして烏森通りを渡御 | 
		 
	   
	
	
	
		
			
			汐留シオサイト: 江戸時代初期に埋め立てられ溜池から海に通じる水路が江戸城外堀となりましたが、 
			この付近にあった土橋に堰を設けて潮の干満が中に及ぶのを防いだことから、汐留という地名が生まれた。 
			江戸時代は仙台藩上屋敷であり、
			明治4年(1871)に貨物専用駅舎が開業し新橋横浜間鉄道開業した国鉄汐留貨物駅跡地です。
			シオサイトは平成15年(2003)に開業です。 | 
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