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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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烏森神社例大祭 平成24年5月 (隔年) |
神輿データ:
祭神:倉稲魂神 台座:4尺2寸(127) 建造年度:昭和5年 製作者:神田・だし鉄
特記: 延軒の八棟屋根・平屋台造りの大神輿。蕨手には神社の紋の烏が乗っている。
昭和57年に神田の宮惣 (村田桂一)によって解体修理。だし鉄とは神田田代町の山本正太郎 |
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発御での激しい棒取りバトルは躍動する担ぎ手のパワーと熱気のうず |
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烏森神社例大祭 '12.05.05.(祭日) 発輿祭 10時半 新橋駅前SL広場
恒例湯島白梅太鼓奉奏 11時 渡御 11時半発輿〜17時半帰輿
境内や参道は極端に狭く渡御祭は JR新橋駅前のSL広場で執り行う。
烏森神社 港区新橋2-15。 神社は飲食店街の路地中にある。 |
千貫神輿POP |
色違いPOP |
新橋SL広場での発輿祭 |
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烏森神社は平安時代の天慶三年(940)に、東国で平将門が乱を起こし、
時の将軍藤原秀郷 (俵藤太)が武州のある稲荷に戦勝を祈願した際、白狐が現れ白羽の矢を与えた。
その矢を持ち、東夷を鎮め得た秀郷がお礼として、
白狐が神烏の群がる所が霊地だと告げた霊地の現所に勧請し社頭を造営したのが烏森神社の起こりです。(社伝より) |
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拝殿は二階の正面 |
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担ぎ手達は既に興奮のるつぼ |
神輿は基首を左側に大きく振る |
路地へと警護班が懸命の舵取り |
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渡御列を先導してくる黄金獅子頭 |
宮神輿そっくりの先導神輿 |
蕨手に黒烏が乗った女神輿 |
発輿と帰輿の本社神輿・先導神輿・女神輿の3基を氏子青年部の「皐月会」と鳶職「め組」が取り仕切り、
囃子の「加良寿連」、踊りの「新波会」、そして渡御は氏子15町会が受け持つ。
発輿祭では湯島天神白梅太鼓が奉納される。 |
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ニュー新橋ビルを一周してきた興奮の担ぎ手はSL広場で歓喜の雄叫び |
「渡御警護斑」は紺の股引き・腹掛け・ 背中に赤く烏森と入った半纏で烏森神社と染め抜かれた赤い鉢巻きを着用です。
ニュー新橋ビル周回の「担ぎ手」は皐月会の烏印半纏で白鉢巻です。
宮出し周回は指定の鉢巻き(白地に赤で烏森神社の文字入り)がないと担げないことになっているのですが。 |
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社紋を背負う皐月会 |
神輿渡御警護班 |
烏森神社氏子印半纏 |
鳶の「め」組印半纏 |
烏森神社の神紋は三巴紋だが、元烏森稲荷の社名から、烏・稲・森を図案化した紋で、
森の上で烏が稲を咥えた紋を社紋として使用している。
お江戸の三森とは、 烏森(港区新橋)、椙森(中央区日本橋堀留町)、柳森(千代田区神田須田町)の三社を指す。 |
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SL前からゆったりと氏子衆で出発 |
外堀通りへ出てきた八棟千貫神輿 |
外堀から赤レンガ通りへ方向転換 |
四方の蕨手にカラスをのせた、
四面ある屋根の各面に切妻がのっている八つ棟の神輿で、
台座が4尺2寸と烏森神社の神輿ほど大きなものは大層珍しい。 |
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宮神輿に乗った御魂は喧騒の歓楽街とガラスの高層ビル群に何を感じているのだろうか |
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社殿内では重要無形民俗文化財の若山胤雄社中による里神楽の奉納だが、
拝殿内の隅で奏でる姿が正面からは観づらくて、参拝者は賽銭を投げ入れても気付かない。 |
烏森神社の拝殿 |
里神楽の若山胤雄社中 |
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新橋地名の由来 :入江の埋立で汐留川ができたとき日本橋通りの南端に新しく架けた橋で、
数奇屋御門橋を芝口門といっていたので、こちらの橋は「芝口新橋」と呼んだ。
そのうち芝口を取って「新橋」と呼びそれが定着した。
御入用(幕府直轄)橋で日本橋・京橋とともに格式の高い擬宝珠付の木橋だった。
地名の俗称として新橋と呼んでいたのは芝口新橋の北の銀座8丁目で、芝口側の呼称ではなかった。
芝口側が新橋と呼ばれるようになったのは明治になって汐留に「新橋停車場」ができて以後のことです。 |
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