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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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波除稲荷神社 平成26年6月 (本祭り3年毎・以外陰祭り) |
神輿データ: 祭神: 倉稲魂命 台座:四尺一寸(124) 建造年度:昭和2年 (1927)
製作者: 神田・宮惣 延軒屋根 平屋台造り 波紋を散らした錺神輿を平成2年に修復 |
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晴海通り門跡橋から場外市場の狭い路地中を威勢よく小田原橋目指す |
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波除稲荷神社 獅子祭り '14.06.08.(日曜) 千貫宮神輿 宮出し9時〜宮入15時
お歯黒獅子 宮出し10時〜宮入15時
本祭り3年毎の土曜渡御 陰祭り本祭以外年の日曜
中央区築地6丁目20-37 |
築地獅子祭りPOP |
神明造りの重厚な社殿 |
獅子殿の厄除天井大獅子 |
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創建は万治年間(1658〜60)江戸市街地整備の最後に困難を極めた工事を完成に導いたことから 「波除」の尊称を贈られた。
同時に一声で万者を威伏させる巨大な獅子頭も数十対奉納され、
これを神輿の様に担いで回ったのが現在に続く伝統行事の「つきじ獅子祭」です。
手古舞の先導で夫々の獅子頭を担ぎ町々へ練りだし、行列の最後に白木の神輿が白丁によって担がれ、
その後ろに騎馬の宮司ほか神職や旗が続いたのです。 |
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次町会の宮元渡御への引継ぎ祭典 |
渡御責任者の手が上がり担ぎ手がドッと担ぎ棒に集結 |
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晴海通り築地六丁目交差点手前を手拍子に鼓舞されての担ぎ |
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晴海通りを旧築地川(現・築地川公園)の門跡橋へと北進です |
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晴海通り門跡橋から桃太郎お囃子屋台が路地へ |
門跡橋角から場外市場の小田原橋へと入り込む |
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築地場外市場独特の狭い路地中を担ぎ手達と一杯になり渡御して来る |
隅田川に架かる勝鬨橋を渡ると築地になるが、晴海通りの築地本願寺裏手には堀川の築地川南支川が流れ、
そこには門跡橋が架かっていた。門跡橋は昭和4年(1929)に完成の震災復興橋梁の一つであるが、
現在は埋め立てられ築地川公園になっている。 |
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場外市場の波除通りに出てきて神職の辻払い |
神輿責任者が手振りで担ぎ手に前進を指図 |
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場外市場の波除通り神社前での宮元最後の担ぎだと気迫の担ぎ |
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鳥居前から境内拝殿前までの宮入は波除印半纏の若睦連合会による担ぎ |
築地場外市場: 東京都中央卸売市場に直結する、小売を中心とした市場。
築地は江戸開府以来400年の歴史をもつ日本橋魚河岸から発展して、
大正12年(1923)の関東大震災で魚河岸が壊滅、その年の末に築地に移転した。
場内の仲卸店は1670店、場外の小売店は500店を数える。場内はその種類と規模は世界一を誇っている。
場外市場は専門店形式で、新鮮な魚、肉や野菜、総菜や乾物など食料品から刃物や食器類まで、
食に関するものなら何でも揃い、現在はグルメスポットとして人気を集める。 |
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お歯黒獅子の宮入渡御の開始 |
女性の掛け声が近づいてくる |
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千貫宮神輿に続いて女性だけの担ぎ手で黄色い掛け声で弁財天お歯黒獅子の鳥居前までの宮入 |
最も大きく厄除けで庶民に親しまれた「厄除天井大獅子」は江戸末期に焼失したが、
平成2年に樹齢三千年の黒檜(ねず)から一木造りで高さ2.4m重さ1t日本一のジャンボ獅子頭として再興され、
通常は境内獅子殿で願い事を受け、年一度の祭礼つきじ獅子祭では数千人の人々に担がれ、
築地の町々を練り歩く初夏の風物詩として江戸の名残を伝えている。
また高さ2.15mの雌の大獅子「お歯黒獅子」は平成14年に再建された。 |
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築地の由来: 江戸時代は地名ではなくこの地域の俗称だった。
築地は水面より上の土地を築く行為または築いた土地で 「築島」と同じ干拓造成地をいう普通名詞であった。
明治以降、西本願寺、土佐藩山内家下屋敷などは築地1〜4丁目に。尾張徳川家蔵屋敷などは海軍用地・海軍兵学校に。
昭和6年海軍用地が中央総合卸売市場に、浜御殿は浜離宮庭園に。
むかし築地といえば寺町、明治になると海軍、昭和以後は市場と変遷です。 |
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登録サイト フリ-ソフトで作成のHP。 |
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