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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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隅田川神社 平成26年6月 (4年毎) |
神輿データ: 祭神: 速秋津比古神 台座:四尺五寸(136) 建造年度:明治5年 製作者: 不明
特記:東京屈指の大神輿 軒下から巻き上る蕨手と囲い垣の形が珍しい。陰祭りは中神輿(舩霊社)が渡御。 |
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隅田川首都高速6号下の隅田川神社境内の第三鳥居前から舩霊社の神輿に続いて台座四尺五寸神輿が威勢よく宮出し |
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隅田川神社 '14.06.15.(日曜) 宮出し 7時 宮入 17時 共に香取神社にて。
渡御での隅田川神社への宮入宮出しが10時半ごろ行われる。 墨田区堤通2-17-1 |
隅田川POP |
首都高速下の社殿 |
拝殿の社号額 |
水神社の祭り提灯 |
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治承の頃(1180年前後)、源頼朝が関東下向の時に暴風雨に遭い、当社に祈願したと伝えられているが御鎮座の年代は未詳。
墨田の鎮守で船頭や荷船仲間に広く深く信仰されていた。水神社は明治五年(1872)に隅田川神社と改称された。 |
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水神社の祭神は速秋津比古神で港神であり河口の神です。
舩霊社(ふなだま)は海の民が航海の安全を願う神で船玉とも表記する。
女神輿で、隅田川神社で本社神輿の宮入り宮出しの先導をする。
亀の狛犬?はいつの造りか不明だが、拝殿前に狛犬の代わりなのか亀の石像が鎮座している。
治水から水運まで川を見守る神社として歴史を刻んでる。 |
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宮出し後の朝食のビル陰の休息所で差し上げお礼 |
強い朝日を受け防潮堤脇土手を喘ぎながら登ってくる |
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堀切の土手沿いから広い墨堤通りに出て大神輿が威勢良い掛け声で担がれる |
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広い墨堤通りに出て解放感からか威勢良い掛け声で鐘淵中学校前を悠然と渡御 |
墨堤通り: 「ぼくていどおり」と読む。
浅草通り(都道453号)と接続する墨田区吾妻橋一丁目の吾妻橋1交差点を起点に、
隅田川沿いを北上し、足立区千住桜木の千住桜木町交差点で尾竹橋通りに接続し、
すぐ先で荒川堤(正式名称不明)に接続する道路。 |
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お神酒所目指す第七墨堤睦の担ぎ |
第七区墨堤睦の休息所へ入り込む |
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七区の墨堤睦が休息所の都営防災団地の白鬚東アパート16〜18号棟ゲートに入り込む |
墨田区の北端の地区は東を荒川、西を隅田川に囲まれた地域で、
地盤が軟弱で木造家屋と工場が密集混在している江東デルタ地帯の最北端です。
隅田川左岸沿いの墨田区堤通二丁目に長さ1.2キロに渡って延々と団地が長城のごとく連なるのが、
防災団地として建造された13階建て18棟の都営白鬚東アパートです。 |
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休息終えて第一ゲート鐘淵門をよいと担ぎで |
白鬚東アパート16〜18号棟から渡御再開 |
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都営白鬚東アパート10号棟前の八区梅若橋睦の休息所へ入り込み宮入の体勢作り |
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墨堤通りの6〜7号棟のゲートの参道第一の鳥居 |
女神輿の舩霊社が公園参道を本社神輿の露払いで入り込む |
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急に太陽が隠れた! 舩霊社が第三鳥居から拝殿前へと黄色い掛け声で担ぎ込む |
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舩霊社に続いて隅田川東白髭公園の屋台が並ぶ参道を |
桜並木と屋台が続く参道を掻き分けて一の鳥居へ |
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夜店が建ち並ぶ150mの参道を掻き分ける様に本社神輿が白鬚東アパートのゲートに辿り着く |
隅田川神社の参道は墨堤通りの都営白鬚東アパート6〜7号棟前の第一鳥居から隅田川東白髭公園を横断して、
神社の第二鳥居そして境内の拝殿前の第三鳥居と続く。 |
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隅田川神社の本社神輿は我慢の担ぎの宮出しから解放され第一鳥居から威勢よく渡御を再開する |
白鬚東アパート3号棟前の榎本武揚像。
幕臣の榎本武揚は幾多の変遷を経て明治新政府から北海道開拓使に出仕を命じられ、
黒田清隆の片腕として北海道を開拓して、晩年は向島に住んだ。 |
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都営団地「防災」白鬚東アパート
昭和40年代に構想が練られ、昭和47〜61年(1972〜1986)に掛けて18棟の建物が連結して造られた。
両側の棟の隙間の鉄扉は、震災などによる火災発生時の防火扉として機能させ、
隅田川東側緑地帯で江東デルタ地帯の避難者を保護する。
連なる団地を跨ぐ防火扉は南から順番に白鬚橋門、寺島門、水神門、梅若門、第一ゲート鐘淵門と名が付く。 |
重厚な第一ゲートの鐘淵門 |
回転ハンドルがあり手動の防災扉なのでしょう |
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