歴史の浪漫街道   お江戸の神輿 1200年の昔から安産・子授け・育児の神を祀る武州八王子最古神社の素盞鳴尊が乗る大神輿の子安祇園祭
伝承と伝統の民族文化遺産

祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    子安神社 祇園祭 平成26年7月 (毎年)

神輿データ: 祭神: 素盞鳴尊 台座:四尺(121) 建造年度:大正時代 製作者:地元大工・小沢
  特記: 八王子市多賀神社から譲り受けた神輿 三つ葉葵紋(丸に三つ葉葵=徳川葵紋)の延軒屋根 平屋台造りの大神輿
 

三つ葉葵紋の4尺の大神輿。'14.07.20.
急に広くなった保健所前五差路交差点で解放感から葵の神紋担ぎ喜びの雄叫びです

三つ葉葵紋と黒く渋いPOP。'14.07.20. 鎮座する社殿。'14.07.20. 五社の末社。'14.07.20. 葵印半纏。'14.07.20.
黒く渋いPOP 祇園祭なのに社殿は静寂の境内に佇む 回廊に建つ五社の末社にともしび灯る 誉れの葵印半纏

子安神社祇園祭り '14.07.20.(日曜) 宮出し13時〜宮入17時 八王子市明神町4-10

八王子市最古の歴史を持ち、 天平宝字3年(759)淳仁天皇の皇后の安産祈願のために創建されたと伝えられている。
古来より、八王子はもとより多西郡と呼ばれた多摩川の西側の総鎮守として崇敬を蒐めて、 摂社金刀比羅神社や石神社、白山社、稲荷神社、御嶽神社、第六天神社など10社の末社がある。 近世では徳川三代将軍家光以降代々の将軍家より、朱印を受けた事により、三つ葉葵を神紋としている。
 

拝殿前での祝詞奏上。'14.07.20.
銀色の大御幣を宮神輿に奉げて拝殿前での宮司が座して祝詞奏上の宮出し神事

境内で神輿揉みして鳥居へ。'14.07.20.
宮出し神事を終えて拝殿前から葵の神紋輝かせ悠然と担ぎ出される宮神輿

参道から鳥居へ。'14.07.20. 鳥居下から宮出し。'14.07.20.
境内の参道から鳥居を目指す 鳥居から神社前通りへ宮出し

子安神社の宮出しは独特です。雅楽で国歌演奏、 続いて宮司が金色御幣をかざしお祓い、畳みに正座して祝詞奏上です。 鳶頭による木遣唄が朗々と歌われ、宮出しです。  

鳥居前で雄叫び。'14.07.20.
宮出しの鳥居下で手拍子に鼓舞され担ぎ手達の雄叫びが響き渡る

猿田彦が隊列を。'14.07.20. お祓い稚児。'14.07.20.
祭礼隊を社旗と猿田彦が先導する お祓い稚児と鉄棒ホラ貝と続く

子安神社の祇園祭りの祭列は、神職、社旗、猿田彦、祭礼旗、お祓い稚児4名、鉄棒2本、ホラ貝2個、振れ太鼓、 三つ葉葵紋半纏の子安木花葵会 (子安神社氏子青年会)、宮司、そして葵の屋根紋の宮神輿が続く。  

保健所前五差路で神輿揉み。'14.07.20.
細い路地中から広い保健所前五差路交差点で喜びの雄叫び

粋ですね!宮神輿を扇子で指揮。'14.07.20.
台座4尺の大正時代建造の葵の屋根紋の宮神輿を扇子で指揮とる渡御責任者

明神囃子連屋台。'14.07.20. 座して氏子町会神事。'14.07.20.
祭りばやし奏で担ぎ手鼓舞する明神囃子連屋台 宮神輿に宮司が座して執り行う氏子町会神事

子安神社の祇園祭りは真夏の渡御であり、祭礼参加者の体調を勘案して、 区域を二分割し明神廻り(八王子駅北)と子安周り(八王子駅南)を交互に繰り返す。
氏子町会は万町一、子安一、子安二、子安三、子安東四、子安西四、明神一、明神二、明神三、明神四の十町会です。
 

曇天日の子安祇園祭の渡御。'14.07.20.
夏祭り炎天下での担ぎのはずですが終日曇天日の蒸し暑いなかでの子安祇園祭の渡御です

八王子市: 後北条氏および徳川家康から軍事拠点として位置づけられ、戦国時代には城下町、江戸時代には宿場町 (八王子宿) として栄えた。明治時代には南多摩郡の郡役所所在地となり、大正6年(1917)東京市に次いで2番目に市制施行した。 かつて絹織物産業や養蚕業が盛んであった為に 「桑の都」及び 「桑都(そうと)」という美称が付けられた。
北条氏照は城を築いた深沢山に、牛頭天王の8人の王子神である 「八王子権現」を祀り、八王子城と名づけられた。この城名が市名の由来である。
 


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