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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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北野八坂神社(北野天満社 末社鹽竈神社) 平成22年 7月 (毎年) |
神輿データ: 祭神:素盞鳴尊 台座:四尺一寸(125) 建造年度:明治30年 製作者:相模国・矢内稲太郎
特記: 北野の天王祭 勾配の浅い延軒屋根・平屋台造り古神輿 和田公園から渡御 |
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北野八坂神社の例大祭は北野の天王祭と称するが御仮屋は北野天満社 |
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北野天満社紅白幕のお仮屋 |
北野町POP |
八坂鹽竈POP |
北野天満社末社の鹽竈神社 |
北野八坂神社の天王祭。 ’10.07.25.(日曜) 宮出し12時45分〜宮入18時。
神事は八坂神社 (北野町76)10時。
旧七日市場(現北野町=室町時代からの旧町名)
境内や参道は狭く、神輿をトラック輸送して近くの和田公園で渡御出御祭を12時半から。
子供神輿・山車・大人神輿の祭礼渡御は12時45分から北野天満社へ向い宮入18時。
宮神輿は北野天満社のお仮屋で一泊して翌日北野町八坂神社へ車輛転送される。
北野天満社の末社の鹽竈神社の例大祭は7月。なお北野天満社の祭礼は4月です。
北野町にはこの二社があり上記の理由から合同の祭礼(北野町まつり)となったのでしょう。 |
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アイス頬張る男児神輿 |
屋根が特徴の女児神輿 |
拍子木加わるお囃子 |
北野八坂神社の祭礼行列は、掃き清め箒、辻払い神職、男児神輿、女児神輿、お囃子山車、
明治の古神輿、そして北野天満社の宮司と簡素な祭列です。 |
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体力回復でご接待所からの渡御再開 |
氏子住宅区域を隈なく渡御 |
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誠に不可思議な北野八坂神社の天王祭です。
渡御を仕切るのは巴紋の印半纏でなく梅鉢印半纏、お仮屋は北野天満社、宮入直前の駐機式、
兼務社の北野天満社のためなのか。これらはみな引き継がれてきた祭礼の伝統なのでしょう。 |
宮入前の駅前ロータリーで駐機 |
駐機祭での祝詞奏上 |
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京王線北野駅北口前のロータリーの像。田植えの像は、昭和41年から56年に、
土地区画整理事業でこの土地が宅地化されたときの記念碑である。
ごく見慣れた農業風景で、
肥沃になった土地への先人たちの開拓の苦労を偲んでいる。
一方宅地化の恩恵で奇抜な賃貸マンションも建つ。 |
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双眼鏡マンションが神輿を見る |
往時偲ぶ北野駅前の田植え像 |
北野天満社。北野町の地名の由来になっている。祭神菅原道真: 八王子市北野町550。
創建は不明、横山党の一族が京都北野天満宮を勧請したとされている。
寛文4年(1664)龍華山大義寺(八王子市元横山町)の真上法印が社殿を再建したという。
末社鹽竈神社 (塩竃神社 とも。安産・腹帯神社として有名である。)
祭神は塩土老翁・武甕槌命(雷のことであり、雷神は剣の神)・経津主神(刀剣の威力を神格化した神)。
塩土老翁神は海や塩の神格化と考えられる。
神武天皇や山幸彦を導いたことから、航海安全・交通安全の神徳を持つものとしても見られ、
また安産祈願の神でもある。 |
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