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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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小舟町八雲神社 大祭 平成26年9月 (4年毎) |
神輿データ: 祭神 建速須佐男命 台座:3尺5寸(107) 建造年度:昭和10年 製作者:行徳・後藤直光
特記: 鳳凰の目にプラチナを使用し延軒屋根 勾欄造り 四方桟唐戸の重厚な神輿 |
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日本橋本町通りを悠然と横断する小舟町八雲の延軒屋根の宮神輿 |
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'14.09.13.(土曜) 昼の部 13:00〜 16:00 夜の部17:00〜 18:30
共に御旅所から小舟町区域内を渡御 中央区日本橋小舟町 14番 堀留公園内
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葦簀張お旅所の扁額 |
小舟町八雲祭のPOP |
八雲祭仕切る「は」組 |
牛頭天王の神紋 |
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小舟町八雲神社は、神田明神の境内にある摂社の一つです。
往古には牛頭天王社と称し祇園三社 (江戸神社=一之宮 大伝馬町八雲神社=二之宮
小舟町八雲神社=三之宮) の一つで大宝二年(702年)の鎮座と伝えられる地主神です。
江戸城吹上御苑に鎮座していたが、元和年間に江戸城修築の折、神田明神とともに現在地(湯島)に遷座、
明治維新のときに八雲神社と改称された。
祇園三社の祭礼は当時有力な町方の持ちとして仕切られていました。
この祭礼を小舟町が施行するようになったのは江戸時代初期に小伝馬上町より引き継いで、
小舟町内に宮元を定め御旅所を奉納したことに始まると伝えられています。 |
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お旅所内での入念に最後の微調整 |
出立つの為にお旅所から出てきた宮神輿 |
葦簀張お旅所の軒下には七つの祭禮堤灯、そして四本の八雲祭の長堤灯が下げられ、
四神旗・鉾・剣も御旅所の中に、太鼓山車の祭神の素盞鳴命が祭禮を見守り、
前の壁には献灯の名入りの弓張り堤灯が両側で500本。
これらすべてを江戸消防記念会一区八番組「は組」の鳶頭衆が取り仕切る。 |
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多くの担ぎ手達が誉れの担ぎだと担ぎ棒に肩を入れて葦簀張のお旅所から渡御です |
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お旅所前通りを昭和通り方面に |
威勢良い掛け声がビルに反響する |
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四年に一度の大神輿の誉れの担ぎに担ぎ手全員が喜び顔 |
4年に1度しか渡御しない大神輿は担ぎ手にとっても垂涎の祭禮という。
ただ一基の宮神輿が、ひとつの町だけを渡御する。これが日本橋小舟町八雲祭(天王祭)の醍醐味なのです。
大神輿は小舟町から出て日本橋本町の昭和通りまを縦横に渡御します。 |
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小舟町三叉路交差点のみずほ銀行小舟町支店前をゆったりと周回して路地へ |
みずほ銀行 (富士銀・第一勧銀・興銀が合併)の小舟町支店は、
安田善次郎 (富山藩の半農半士)が明治13年1月(1880) に両替店「安田商店」を興した場所で、
合本安田銀行 (旧・富士銀行 現・みずほ銀行) がこの小舟町で開業した地です。 |
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広い日本橋本町通りを勇ましい掛け声で悠然と横断してくる |
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本町から昭和通り目指して雄叫び発しながらジワリと西進して行く |
日本橋小舟町(こぶなちょう):
慶長8年(1603)の町割で下舟町となり、享保5年(1720)に小舟町と呼称される。
日本橋川にほど近い立地から、物資輸送に大いに利用され発展した町である。
祭礼には小伝馬町などと共に神輿を回す慣習があり 「小舟町の往還には模造の山門を作って提燈をかけ、夜毎に灯がともされ、
夜中の賑い筆舌に尽しがたい」 ものがあったと言われている。
この御旅所は古くは小伝馬町に設けられたが、正徳中頃、疫癘を祓うため小舟町に遷し、それが引き続き慣例になった。 |
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