歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 富岡八幡は日枝神社の山王祭と神田明神の神田祭と「江戸三大祭」の一つ
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    富岡八幡宮 例大祭 平成21年8月 (3年毎)

神輿データ: 祭神:應神天皇 台座:四尺五寸(136) 建造年度:平成9年 製作者:行徳・浅子周慶
   特記: 二之宮は担げぬ一之宮に代わり渡御するために建造されたが屈指の大神輿です。
 

宮出しの総代より担ぎ渡しを受け渡御する二部会。09.08.16.
富岡八幡宮の黄金色に輝く千貫神輿二之宮が二部会に担がれて木場への渡御

例大祭ポスター。09.08.16. 神輿渡御で参拝者いない社殿。09.08.16.   富岡八幡宮は寛永4年(1627)、当時永代島と呼ばれていた現在地に神託により創建。 周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得る。 世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。 江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、 明治維新では朝廷が当宮を准勅祭社に定める。

富岡八幡宮の例祭は3年毎ですが、以下の順で例祭を繰り返す。
1)本祭り: 御鳳輦が渡御を行う年で、町会神輿54基の連合渡御。 俗に「深川八幡祭り」
2)例大祭: 宮神輿の一之宮に替わり宮神輿の二之宮神輿による氏子全区域渡御。
3)陰祭り: 神事のみの例祭が執り行われる。
 

元禄時代に豪商として名を馳せた紀伊国屋文左衛門奉納の総金張りの宮神輿が3基ありました。 しかし関東大震災で惜しくも焼失、それから68年の時を経て平成3年に日本―の黄金大神輿の宮神輿が復活したが、 その大きさゆえ担ぐことができず、 二之宮を建造して平成9年より例大祭で渡御。   鎮座の一之宮。09.08.15. 翌日渡御する二之宮。09.08.15.
神輿庫に並んで鎮座の一之宮 二之宮も例祭中はガラス戸開放

  二之宮宮出し

時間通り総代による宮出し。09.08.16. 永代橋通りに出ても総代が担ぐ。09.08.16. 担ぎ手が気付かぬうちに担ぎ渡しで二部会に。09.08.16.
神輿庫前から総代による宮出し 20分間の総代の永代橋通り渡御 す〜と総代から二部への担ぎ渡し

総代による宮出しは理解できるが、鳥居過ぎても引き続き渡御して、 しかも二部会への宮神輿引き渡しは永代橋通りでの千貫神輿の「担ぎ渡し」なのです。  

'09.08.16.(日曜) 神事は7:00〜7:25。 総代による「宮出」は 7:30〜7:50。の持ち時間です。
二の宮渡御 「二部会」7:50〜8:20。 「三部会」8:30〜9:30。 「七部会」10:10〜10:55。
「五部会」11:35〜12:25。 「四部会」12:55〜13:45。 「二部会」13:55〜14:35。
「六部会」14:45〜16:00。 「一部会」16:15〜16:55。 総代による「宮入」17:05〜17:30です。

氏子町会は 一部会 (富岡・門前仲町・佐賀・永代・福住) 二部会 (木場・冬木・深川)
   三部会 (千石・石島・東陽・扇橋) 四部会 (古石場・牡丹・越中島)
   五部会 (豊洲・枝川) 六部会 (清澄・白河・三好・平野) 七部会 (箱崎・新川)
 

  二部会の水掛け

トラックから豪快な清め水。09.08.16. 担ぎ手全員へ散水です。09.08.16.
散水車から活きよいよく清め水 豪快に担ぎ手や宮神輿に清め水

水掛けは担ぎ手のみならず、神輿にも掛ける。後の整備に金額が張るはずです。  

  七部会渡御

神輿到着に担ぎ手うお〜と拍手喝采で出迎え。09.08.16. 荷台で担ぎ棒手際よく取り付け。09.08.16. 後方トラックでは外棒丸太担ぎ降ろし中。09.08.16.
拍手喝采のなか二之宮が到着 手際よく担ぎ棒が取り付けられる 六天棒丸太の取り付けを残すのみ

今年度の渡御には給水車以外に渡御巡行路にトラック移送区間が木場・深川から新川と豊洲そして越中島への三ヶ所あるため、 宮神輿と担ぎ棒の専用移送用の2台のトラックがつき従う。
引き渡し場所での神輿担ぎ棒の組み立てには、熟練の木頭でも時間との競争であり、 チエンにて担ぎ棒を締め付けその上に通常行う飾晒しは巻きつけない。
 

全員渡御路に向かい柏打ちして七部会の渡御開始。09.08.16. 揉みに揉んでやっと木を入れる。09.08.16.
新川キリンビル前から永代橋への七部会の渡御 持ち時間45分の熱気の担ぎに木が入る

虹が架かるほど豪快な消火栓放水。09.08.16.
永代橋通りでは水掛け祭にふさわしい消防団による消火栓放水です

深川のお祭りは「ワッショイ、ワッシヨイ」の伝統的な掛け声と「水掛け祭」の別名通り、 沿道の商店や観衆から担ぎ手に清めの水が浴びせられ、 担ぎ手と観衆が一体となって盛り上がるのが特徴で、江戸の粋を今に伝えるお祭りとして、 多くの人々によって大切に受け継がれている。  

情報いただく神輿同好会の方々です。09.08.16. 7部会永代橋たもとから豊洲へ移送。09.08.16.
双龍会、風じん睦、藤龍睦、常総市石下の面々 総代で枝川・豊洲地区へのトラック移動準備


永代橋渡れぬのは何故。09.08.16.   二之宮神輿は毎回差し切りで渡る永代橋を何故今回は渡御せぬのでしょうか?
永代橋と富岡八幡宮とは切っても切れぬ縁があります。 江戸初期までは深川は漁師の村落であったが、明暦の大火後(1657)急速に町人地の開発が進み、 隅田川を越えて本所・深川・木場が開拓され木場や問屋が集中する町となった。 漁師や木場衆や蔵で働く力自慢も多く、豪壮な神輿が勢揃いする夏祭りは年々盛り上がり、 豪商紀伊国屋文左衛門の総金張りの大神輿3基の奉納で八幡祭りの人出は急増した。 文化4年(1807)の本祭りで群集の重みで永代橋が崩れ落ち、千数百人と多数の死傷者がでた。 以降、幕府は神輿渡御を禁止、その後は山車による渡御となり、 禁令が解かれたのは明治維新直後であった。
渡御図に永代橋巡行がない



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